寺山修司に触れ直す

木曜は四谷三丁目の「喫茶茶会記」にて「遊読夜会」に顔を出す。
月一のシリーズ、昨年の『チェルノブイリ・ダークツーリズム・ガイド』以来。


今回のテーマは「寺山修司・界読 少女篇」ということで
ナビゲーターの方が寺山修司の書いた少女文学の代表的な短編小説と詩を持ってきて
それを皆で輪読した。


いくつか印象的な作品があった。
「恋人に歌ってあげたかったら」
まぼろしのミレナ」
「海のアドリブ」


そして
「踊りたいけど踊れない」
これは、1980年代半ばにラジオドラマになった。
朗読は中尾幸世だった!
https://www.youtube.com/watch?v=AdwGgY9518Y


久しぶりに読んで、この人には勝てないなと悔しくなった。
言葉の選び方、ページへの並べ方。
主人公と作者が作品を飛び出してくる様子。
実験的/編集的でありながら同時に抒情的。
とほうもなく、よるべなく、切ない。


青森駅の近くにまだかろうじて残っている場末の飲み屋街。
小屋が寄せ集まって屋根をかけて狭い通路で全てがつながっているかのような。
時代に取り残されて饐えたにおいのするような。
そういう寺山修司はプリズムのうちのひとつにすぎなかった。


次の用事があったので僕は中座したけど、
後半は「あしたのジョー」について。
1970年に寺山修司が発起人となって開催された力石徹の葬儀。
今年、練馬区立美術館で『あしたのジョー、の時代展』
https://www.youtube.com/watch?v=zHycWM--9zg
この一環で葬儀が再現されたのだという。
当時葬儀委員長を務めた元「天井桟敷」の昭和精吾という方が
44年を経て今回も葬儀院長を、とのこと。


毛皮のマリー』の戯曲であるとか、
読まずになんか不用意に言ったりしちゃいけないと思うんですね。