『木村伊兵衛 傑作選+エッセイ 僕とライカ』

ふとしたきっかけに
木村伊兵衛 傑作選+エッセイ 僕とライカ』という本と出会い、今週読んでいた。
http://www.amazon.co.jp/dp/4022578327
写真家:木村伊兵衛のことは恥ずかしながら名前しか知らなかった。
というか、新人写真家の登竜門「木村伊兵衛写真賞」ぐらい。


表題にある通り、小型のライカと出会って
日本を代表する写真家になるまでのことが多く、自らの言葉で書かれている。
肖像写真ひとつとっても
それまで室内でじっと固まってかしこまって大型写真機で撮っていたのが
屋外でスナップ写真のように撮ることができるようになって、
被写体の内面が何気ない瞬間に垣間見えたのを
切り取り、写し出すのが主流になっていった。
それが1930年代以後。その第一人者が木村伊兵衛だった。


いろいろと示唆深いことが書かれていたけど
(とは言っても半分は絞りがどうこう、フィルムがどうこうと
 テクニカルな話でちっとも分からなかった)
最も考えさせられたのは写真は何を撮ってきたのか、という話。
白黒の写真には白と黒とその中間の灰色しかなく、
それはつまり「光」そのものだった。
あるものを撮ろうとしたら、コップならコップにどう光が当たっているかが問われた。
そのコップがどういう形のものでどういう場所に置かれたかは重要ではなかった。
それは現代の絵画で言えば印象派の発想に近い。
光が、色彩が、どう見えるかということ。


それがやがてコップの「形」そのものに興味が移っていく。
造形というか。被写体への興味というか。
そこでは光もまた形の一部分、形作るもののパーツとなる。
そのコップの質感や重さ、手ごたえを表現するのが課題となる。
どういうアングルで、どういう照明を当てて…


その写真家がコップというものを「撮れるようになった」と
ひとつの境界線を越えたように感じると
物それ自体から、その物が置かれた状況を
いかにカメラ、写真家の目が捉えるかへと進んでいく。
いつ、どこで、誰が、どのようにして。
何気ない家庭の団らんの一コマなのか。
歴史的な会談のさなかに指導者が弄んでいるものなのか。
そこから報道写真という考え方が生まれ、
戦前の木村伊兵衛もまた向かっていく。
それはやがてブレッソンやキャパとの親交につながっていく。


傑作選ということで冒頭は代表作並ぶ。
写真嫌いの泉鏡花を写した一枚であったり、足しげく通った戦後の秋田の風景であったり。
土門拳との対談も貴重な記録か。


僕とライカ 木村伊兵衛傑作選+エッセイ

僕とライカ 木村伊兵衛傑作選+エッセイ