聞くと考える

仕事をしていると時々、若いのが説教されていることがある。
なんで自分からやろうとしないんだ、自分で考えようとしないんだ、と。
多くの場合、この後で混乱する。
「全部自分でやらなければならないのか」
「知らないことばかりだ、いったいどうしたらいいんだろう」
「先輩たちはこういうときどうしたのか。
 いや、安易に聞くわけにはいかない。頼ってはいけない。
 また人に聞いてばかりと怒られる…」


やがて一人で抱え込んで、誰も助けてくれないと思い込んで、
途方に暮れ、鬱々とした日々を過ごすことになる。
現状を打開する行動力や、知恵や知識の引き出しを持っている者は少ない。
手遅れになってから、その上司や周りの者が気付く。
自分からSOSを挙げられる者もまた、少ない。


その若者が状況を説明して、それに対して上司がコメントするとき、
さらに混乱することになる。
「どうして誰にも聞かずに一人で抱え込んでいたんだ」
「そんなの聞かなきゃわからないだろ」


考えろと言われたり、聞けと言われたり、
では、僕は、私は、何を考えたらいいのか?


「自分で考えろ」と言われた時、
実際には周りの多くのことがはしょられている。
言う側はこういう前提にある。
過去の経緯やノウハウや慣例としてどうなってるかというのは
周りに聞いた方が話が早いし、
これからどうしましょう、とかどうしたいのか、というのは
まずは自分で考えて行動で示してほしい。


とある大企業のプロジェクトリーダーが言ったことを今も忘れずにいる。
大きなトラブルが起こった時、
中途採用で入ってきた新人がモタモタしていて愚痴を言っていた。
「あいつは仕事ができない。過去に起こったことは誰かに聞けばすぐなのに
 自分一人でファイルを調べようとして時間を無駄にする。
 逆に、どうしたらいいですかってことはすぐ聞いてくる」


そうか、人間ってそうだよなって思う。
そしてこのことに気付かずにいる人がけっこう多い。
何を聞くべきか、何を自分で考えるべきか、逆になっている人。
あるいは全部自分で抱え込もうとしたり、全部周りに頼りきりになる人。
不器用なのか、自分の置かれた状況を客観視できないのか。
若いのにこの話をしても、きょとんとして理解されずにいることもある。