見張塔からずっと

かつてデヴィッド・ボウイ
スタジオの外に広がっていたベルリンの壁の傍らで
毎晩人目を避けるようにして会っていた若い恋人たちの姿を目にして
「僕たちは一日だけならば、英雄になることができる」と歌った。


学生時代僕は映画をつくるサークルにいて、
学園祭の最終日は火の見櫓のように高く組まれた足場に上って
その賑やかな光景を眺めながら過ごしたものだった。
学園祭の実行委員会からの依頼で
三脚にビデオカメラを立てて記録映像を撮っていたのだ。


歩道にぎっしりと並んでいたサークルやゼミのテントは
焼きそばやたこ焼きの営業を終えて、文字通り店を畳んで酒盛りを始めていた。
先輩も後輩もなく、男も女もなく、歓声や嬌声があちこちから上がっていた。
イッキ飲みのコールがかかって、お調子者がそれに応える。
ふざけているだけなのか酔っ払っているのか、
ひげ面の男が一升瓶を抱えて女の子を追いかけ回す。
中央の四角形の池には既に飛び込んでいるグループがいくつか。
水しぶきを上げながら肩を組んで大声で寮歌や応援歌を歌っていたりする。
少し離れた茂みの陰に隠れて抱き合っているカップルがいる。
ステージの上ではクロージングのセレモニーが行われ、
赤いハッピを着た実行委員長がマイクを握って大勢集まった聴衆を煽っていた。


僕らはポツンとはぐれて、その光景を見下ろしていた。
交わす言葉もなく、無言で、時々何か聞き取れないことを呟いて。
思い出したかのようにファインダーを覗いて、時間が来るとテープを交換する。
夕暮れ。日が傾いてやがて寒くなっていく。
夜になって閉会のセレモニーが終わると僕らの役割も終わる。
機材を下ろして部室まで運ぶと、「一休」かどこか安い居酒屋に入って遅くまで飲んでいる。
最近見た映画の話をする。さっきまで続いていた学園祭のことは話さない。
誰か一人が悪酔いして、朝を迎える。


僕らが取った映像は誰が見るのか分からない。
もしかしたらそれは受け取った実行委員会の若者が棚の奥に仕舞うだけで、
誰かが見ることはないのかもしれない。
そのことに疑問を持つことのないまま、僕らは毎年撮影を続けた。
今はもう、行われていはいないだろう。