日本民藝館「カンタと刺子 −ベンガル地方と東北地方の針仕事−」

この3連休は熊本から妻のご両親が結婚式のため上京。
土曜は先日買った組み立て式のスチール本棚が届くことになっていたため身動き取れず。
日曜はその結婚式で留守番。
せめて今日月曜、少しは東京を案内しようと
渋谷で親戚の方との食事会、妻が用事で先に帰ったのち、駒場東大前の日本民藝館へ。
http://www.mingeikan.or.jp/


井の頭線に乗る。右も左も若者たちばかり。
「渋谷と吉祥寺という若者に人気の街を結んで、
 途中駒場東大前、明大前と大きな大学のある駅があるんで」
などとさも東京に詳しいかのように説明していたら、駒場東大前でごそっと下りる。
今日は三連休に開催されていた駒場祭の最終日だった。
立て看。実行委員会のテント。門を行きかう若者たち。
あちこちから立ち上るにぎやかな声。
高校生らしき男の子が母親に付き添われて出てくる。
「来年はがんばってね、○○ちゃん」という声が聞こえてきそう。


駒場通りを5分ほど歩いて日本民藝館へ。
近くにある日本近代文学館(旧:前田侯爵邸)は改装工事中。
日本民藝館も通りを渡って反対側の西館が同様だった。
中に入る。玄関の靴置き場がぎっしり。
館内で靴は黒い袋に入れて持ち歩くことになっていたけど、ほとんど守られず。
こういう地味なとこは全然客が入っていないだろうと思っていたので混雑ぶりにびっくり。
よく晴れて暖かい3連休の最終日だからか。
駒場祭りが開催されているからか。
それとも3か月知覚開催された企画展
「カンタと刺子 −ベンガル地方と東北地方の針仕事−」がたまたま今日最終日だったからか。


2階と1階を見て回る。
硯、お面、自在鉤、泥絵、小鹿田焼漆器、船箪笥、小枕などなど。
これら今でこそガラスケースの中に収められ大事に扱われているが、
手仕事で作られた時にはただ同然だったんだろうな。
日常使われているものにこそ、芸術はある。柳宗悦民藝運動の天才性を感じた。


企画展が思いがけなく素晴らしかった。
http://www.mingeikan.or.jp/events/
一室が津軽のこぎん刺し、南部の菱刺しに充てられていた。
大小様々なパターン/意匠の菱型が幾何学的な模様を描き出す。
小さい頃、こぎん刺しって普通に近くの公民館でおばあさんたちが鍋敷きをつくるもの
というイメージであって、芸術作品として扱われるとは思ってもみなかった。
それが100年前のものが保存されていて、ガラスのケースに入っているとなると
途端に美しいものに思えてくる。
美意識は状況に左右されやすい、曖昧で適当なものだ。


廊下と大展示室がカンタという刺子の敷物。
ベンガル地方の刺子。素朴なタッチで動植物や日用品を描く。
一定の間隔で繰り返されるその配置のパターンに幾何学性がある。
シンメトリーを形作ろうとしても無名の女性たちの、家庭の手仕事ゆえに微妙にずれていく。
その味わいがいい。
かつてシンメトリーを描くのは高い技術を必要とした。
それこそ王室で抱えるような職人のみが可能とするような。
それが今、コンピューターの時代はシンメトリーこそが簡単になる。
ファジーな要素を足すならば、そこにはノイズを計算して付け加えなければならない。


赤っぽいベージュの地に、赤と青を中心にした糸で緻密に刺してある。
これ一つ作るのにどれぐらいかかるのか。
一年なのか、十年なのか、一人の女性の一生分を要したか。
母が作り始めて娘が完成させるということもあったか。
家庭の仕事を終えて、女性たちが集まって噂話を咲かせながら賑やかに作ったか。
それとも夜、一人きり無言で一針一針刺していったか。
どちらにせよこれらカンタは各家庭に長い年月受け継がれていったのだろう。


プリミティブな模様はアウトサイダーアートを思わせる。
どちらも「意味」というものを求めず、ダイレクトに世界と感性を通じ合わせるからか。


残念ながら館内で売られている機関紙『民藝』の10月号、カンタ特集は完売。
外国からの観光客もちらほらと。
外国人に東京を案内するにはここ、なかなかいいかもしれない。