『6才のボクが、大人になるまで。』

月一の休みを取る。
荻窪に髪を切りに行って、西新宿のもうやんでカレーバイキング。
午後は新宿まで歩いて武蔵野館で映画を観る。
西島秀俊が例の七カ条にて「映画観賞についてこない」などと言ったものだから
映画館にひとりで見に行くというのがなんだか後ろめたい。


観たのはリチャード・リンクレイター監督の新作
『6才のボクが、大人になるまで。』
 http://6sainoboku.jp/


タイトルの通り、6歳の少年が18歳になるまでの12年間を描く。
かわいらしい子供から、写真に目覚めて家を出て大学に入るまで。
しかもこれ、普通は6歳の子役と18歳の若手俳優を起用して二人一役とするところを
毎年少しずつ撮影して実際に一人の男の子が成長する過程をリアルに描いた。
ドキュメンタリーではなく、脚本のあるフィクションとして。
これが画期的。「ほんと」に成長する。
(姉役のリチャード・リンクレイター監督の娘もまた成長する)


ラース・フォン・トリアー監督の『ドッグヴィル』であるとか
常軌を逸した発想がウリの映画ってこれまでいくらでもあったけど
この映画以上のアイデアはないと言ってもいいだろう。
思いつく人はいたかもしれないが、おいそれとは実行に移せない。
撮影に12年かかる作品に投資する人なんて常識的に考えていないだろうし、
何らかの事情で出演者が途中で降板するリスクだってある。
それを押し通して完成させたというだけでもこの作品は映画史に残る。


離婚を繰り返しつつも働きながら大学院を出て教職に就く母親パトリシア・アークエット
最初の夫にしてミュージシャンの夢を諦めてまともに働くようになった父親がイーサン・ホーク
このふたりもまた12年間出演し続けて、その分年を取った。
顔には皺が刻まれ、体型もそれなりになった。
役者として、一人の人間としての成長が刻まれることになった。


一見このアイデアが先行しそうだけど、
この3人の織りなす人間のドラマとしてそもそも近年、頭2つ3つ抜けていた。
描かれるエピソードは母が再婚する、別れた父が野球に連れていく、
祖父母と一緒の誕生パーティー、初めてビールを飲む、高校を卒業するといった
いたって普通の出来事。特別な事件は何も起こらない。
なのにその背景に流れているものの重みが違う。
流れる時間のリアリティというか。
何気ない場面であればあるほど愛おしくなる。
2時間40分が全然長くない。むしろもっと見ていたい。
その人生に触れていたい。


観ててなぜかイングマール・ベルイマンを思い出す。
昔の映画は作りこんだ虚構の中に人生を切り取って描き切ることができた。
今の映画はそれができなくなった。
『6才のボクが、大人になるまで。』が素晴らしかったのは
裏を返すとそこまでしないと人生が描けなくなったということであって。


ま、いいか。面白かったから。
今年を代表する一本として僕はこれを推す。
新宿武蔵野館は平日昼だというのに、満席。