「でも、だって、どうせ」

これまで15年間同じ会社で働いていてきて、
何度か部門が変わって、部門名が変わって、部長が変わってきた。
正直「なんだこいつ?」と思うような部長もいれば、
「この人のためならばもう少し頑張ろう」と思えるような尊敬できる部長もいた。


今でも忘れられない「この人はすごいなあ」と感銘を受けた人が何人かいて
皆決まって器が、存在感が、大きかった。頼もしかった。
それを生み出したのは元々のリーダーシップもあるだろうし、
ビジネスの現場で磨かれてきた繊細な感覚というのもあるだろう。
請け負った大規模システム開発案件が品質も進捗も崩壊している。
そんな厳しい状況にあっても、現場にはどれだけ前向きなことが言えるか。
どれだけ冷静な判断を仰げるか。臆せず顧客に意見が言えるか。


とあるプロジェクトで基幹システムの置換えを行うことになった。
その全体像を正しく見極められなかったがゆえに
顧客からの要望をきちんと捉えきれず、気づいた時には
受注した範囲の想定が双方で大きく食い違っていた。
顧客は激怒、対応事項は日々雪だるま式に増えていく。
現場は混乱だらけで状況報告もままならない。
できることは稼働できる要員をとにかく増やしていくだけ。
周りのプロジェクトからどんどん人が引き剥がされて
ブラックホールのように飲み込んでいく。
ついにひとつの部門では対応しきれなくなって隣の部門に吸収合併された。
総勢100名以上で年末年始も返上して取り組むことになった。


それが決まってすぐ、吸収した側の、不芳プロジェクトを引き受けた側の部長が
プロジェクトメンバーを集めて一言だけ就任の挨拶をすることになった。
そのフロアにいた全員が立ち上がって、遠巻きに取り囲んだ。


「マネージャー層はプロジェクト正常化のために全力で取り組む。
 顧客にもできないことはできない、
 こうしたほうがいいということはハッキリと言う」


そう宣言した上で、開発の現場に向けてこう続けた。


「君たちには、一個だけ守ってほしいことがある。
 これから先、『でも、だって、どうせ』
 この3つのDは絶対口にしないこと。以上」


たったそれだけ。
「私の7箇条」とか「俺の10箇条」とかそういうのではない。


それででいいんだ、と少なくとも僕は心が軽くなった。
ほんの些細なことで前向きな気持を保てるということを僕は知った。


「やったところでどうせ」といった後ろ向きな発想や
何かにつけてできない理由をグダグダ言うところから話し始めるということ。
この3語がプロジェクトを進めていく上でどれだけの弊害となるかについては
詳しく説明しなくてもいいと思う。


この「でも、だって、どうせ」の話、何もこの部長が思いついたことではなく、
その頃日経新聞か何かに書かれていたのだろう。
その後時々見たり聞いたりした。


プロジェクトはその部長指揮のもと、
多くの痛手を追いつつもサービスインを迎えることができた。
その後しばらくして部長は他の事業部の他の部門へと異動になった。
そこから先、どうしているのか分からない。
本社ですれ違ったら挨拶をしたいとは思っていたが、
そんな機会はなかった。