今週は妻が持っていた吉村昭『羆嵐』を読んでいた。
大正四年、北海道の貧しい開拓地を襲った身長2.7m、体重380kgにもならんとする巨大熊。
打ちひしがれる村人たち。一人寡黙に立ち向かう酒癖の悪い、嫌われ者の老漁師。
威張り散らす警察署長によって周辺の村人たちから編成された救援隊は
実際に熊を見るまではやたらと威勢がよかった。
ようやく仕留めた熊の胆の中から出てきた女たちの髪の毛や黄楊の櫛。
細かな事実を積み上げるだけの、淡々とした文体がむしろ
人智を超えた自然の測り知れなさを感じさせる。
昨年同じく妻から借りた久保俊治の自伝『羆撃ち』も頗る面白かった。
北海道で普通の若者が大学を卒業してプロの熊撃ちの猟師となり、
アメリカのハンター養成スクールにも留学する。
生涯に一頭という絆で結ばれた猟犬フチとの交感が美しい。
この2冊は日本語で書かれたものの中では生涯ベスト10となるだろう。
もう一冊、聞き語りの
『クマにあったらどうするか: アイヌ民族最後の狩人 姉崎等』もなかなかよかった。
なんでマタギの本が読んでて素晴らしいのか、という話を妻とする。
曰く、
「ハンターとしての孤独な戦いにどれひとつとして同じものはない」
「熊と人はそもそも共存できない。
地球上の生物というレベルでは可能だろうけど、一緒に生活することはできない。
住む世界が違いすぎる」
「そうか。生態圏としてはあり、か。
人間が自然を開発していけば熊の生きる場を奪っていくけど。
それとは別の次元で、ひとつの自然の中に置かれた時に
一頭の熊とひとりの人間では対等に戦えない」
「それに、ハンターの人たちは人間の都合で撃つけど、
その瞬間には命を投げ出そうとする。
人間のエゴと一言では言い切れないものがある」
「その撃つ瞬間には人間を超えて、自然と通じ合うものがあるのかな」
「もっと違うものだろうね」
青森で本屋に入ったら「マタギ女子始めました!」みたいな本があって
妻がちょっと憤慨する。
そんな簡単なものじゃないだろうと。
『羆嵐』を読むと、エコとかロハスとかいうものではなく、
ほんとそれは嵐なのだということがわかる。
襲われてからでは遅い。
くまモンだって本当は獰猛な肉食獣のはずなのである。
- 作者: 吉村昭
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