入口の情報、深める情報

昨日話したこと。


そこにたくさんのカテゴリーの雑多な情報がたくさんあって
どこから手を付けていいかわからないというとき、
まずはふたつに分けるといい。そのどちらなのか考えてみるといい。
そのカテゴリーの入口となるもの、深めるためにあるもの。
その概略を説明するものと広げるもの、と言い換えてもいい。
このふたつを意識するだけでかなり違うはずだ。


混乱している人は、往々にしてこのふたつをいっしょくたにして
いきなり各論に入ろうとして全体像が見えなくなっている。


input する側がそうだとしたら
output する側にしても、そう。
自分が今書こうとしている一文は、
説明のためのものなのか広げるためのものなのか。
その区別を常に頭の片隅に置いといたほうがいい。
文章がうまく書けない、という人はやはりその辺りごちゃっとしている。


要約と連想と言い換えてもいい。
ギュッと焦点を絞る。
絞ったらまた新しい可能性へと広げる。その中から選ぶ。
人間の知的活動をある断面で切り取った時、
ただそれだけを際限なく続けていると言っていい。
King Crimson の首謀者であるギタリスト、ロバート・フリップ
それを「緊張と弛緩」と語っていたように思う。
自らの音楽はその構築なのだと。


昨日は、入り口だけにとどまっていたらあかんよ、
そういうことを言った。
「好き」だけで満足せず、いろんなものを見ないとね。