棟方志功と高橋竹山

正月に青森県立美術館ミュージアムショップで見かけた
棟方志功の自伝『板極道』を今読んでいる。
とにかくタイトルがいい。
(でもヤクザって意味ではない。文字通り道を究めるということ)


子どもの頃、テレビで棟方志功が板を彫っているのをよく見かけた。
NHK のドキュメンタリーだったのか。それとも地元の民放 RAB か。
1975年に亡くなっているから、
その年に生まれた僕が物心着く頃が最も再評価著しい時期だったのかもしれない。


よく見かけたというほど再放送されたことはなく
実際は一度か二度、だけどその映像の余りのインパクトが今も忘れられない
というのが本当のところか。
もじゃもじゃ頭に牛乳瓶の底のような眼鏡をかけて板すれすれまで顔を近づけて
歌ったり呟いたりしながら板を彫っている。
口を開くと青森育ちの僕ですら聞き取れないぐらいの濃ゆい津軽弁を話していた。
ねじり鉢巻で半纏みたいなのを着て。
なんでこんな小汚い人がテレビに出ているのだろうと子ども心に不思議だった。
しかし大人になった今、あれこそが芸の道を究めた人の姿なのだと思う。


僕の子どもの頃は高橋竹山も普通に土曜の昼、民謡番組に出て三味線を弾いていた。
そんな毎週のようにってことはなかったけど名前をよく見かけた。
三味線といえばこの人という、地元の有名人ぐらいに思っていた。
世界的に有名な存在だと知ったのはもっと大きくなってからだった。


あの頃は何気に文化レベルが高かった。
80年代の半ば。バブルが広がるまで。何か素朴なものが保たれていた。
今の青森ではそういう番組を放送することもないだろうし、
子どもたちが目にすることもないのだろう。
津軽と聞いて薄暗い朴訥なものを思い浮かべることもない。
20世紀の最後、多くを失うことで21世紀への転換を迎えた。
そのひとつがこういうことなのだなと思う。