耳の日

人類がウサギから進化したならば耳が大きく発達して
まぶたのように開閉するようになったであろう。
逆に瞬きはできない。


「目を閉じる」ではなく「耳を閉じる」
聞きたくない音に出会ったときに自然と耳が閉じられる。
しかし見たくないものに出会ったとき、
目は自らの手で押さえないといけない。
どちらに対して能動的になるかで
その文化や歴史は大きく変わったであろう。


今の人類に戻る。
耳に対する声と目に対する文字と。
前者を獲得するまでに必要とした長大な時間からすれば
そこから先後者までは一瞬なのか。
しかしそれであっても何万年、何十万年という時を必要とした。
そこに至る跳躍が人類の知的能力を相当な高さにまで引き上げた。
聴覚よりも視覚のほうが情報量が数段も上になる。
(例えば、音声ファイルよりも画像ファイルの方がサイズが大きくなる)


このことを考えるとき、どうなるか。
ウサギから進化した場合は
視覚よりも聴覚の方が情報の量と密度が大きくなるのか。
それはつまり感じ取る音の質量が違うということ。


そんなことを朝、通勤電車の中で考える。
視力が下がってないか、眼精疲労が起きてないか、
飛蚊症にぎょっとして自らの老化を考えたり。
目のことはあれこれ気に掛けているけど
耳や聴力に関することは無頓着だなということに気づく。