東海道五十三次を歩く 前篇

東海道本線で言えば片浜駅を過ぎて
どことなく田舎が入り混じってくる。
何がどうというのは難しい。
ところどころ垣間見える寂れた小屋の造りであるとか
家並みの隙間の多さであるとか。
空気がのんびりしたものになって人口密度の少なさを感じる。
一方で家はむしろ立派になる。田畑を売ったのだろうか。
そういえば駅前の通りには西友があった。
ここまで進出しているのかと驚く。


米どころだからか、米屋が多いのは当然として造り酒屋を何軒か見かけた。
神社も多い。浅間神社が行く先々に出てくる。
聞けば浅間大社富士宮にあるからで。そこからの分社なのだろう。


原駅の頃、12時。3時間歩いて12kmぐらいか。
何もない駅前に寿司屋があったので入ってみる。
刺身定食にする。新鮮なホタテやタコ、マグロなど。里芋の煮物。
これで800円は安い。
食べ終えてもすぐには立たず、
Kさんはゆっくり消化させてここで一休みしましょうと。
テレビではのど自慢をやっていて、弘前だった。
ふるさと青森。思わず見入ってしまう。
東海道五十三次を歩いているとKさんが言うと
店の大将が海沿いにもう一本甲州街道というのが昔はあって、
家康がつくらせたものなのだと教えてくれる。


東田子の浦駅吉原駅と海を一本隔てたところを歩く。
少しずつ少しずつ田舎の度合いは増すものの
いきなりきれいな美容室が出てきたり、ベンツを置いていたり。
それでいて富士急のバスは二時間に一本。
吉原に近付くと遠くに製紙工場の赤と白の煙突が見えてくるようになった。
田舎は田舎だけどアパマンなどの経営するこぎれいな貸しアパートが並んでいる。
流れ者的な労働者が来ては去っていくのか。
そのうちに根付いた人たち用なのか大きな団地? が一棟だけポツンと立っていた。
その隣に酒屋と併設して居酒屋が。
工業地帯に入っていく。


「川津桜祭りに出店のため本日はお休みします」と貼り紙をしたお菓子屋があった。
そう、梅も咲いているし、早いところでは桜も咲いていた。
静岡は南国なんだなあと思う。
その分花粉もとんでもないことになっていて
昼過ぎから雲が切れて快晴。
気温も上がって花粉が飛びまくり、マスクをしているだけでは全然ダメ。
目から入ってきてむず痒くなり、鼻水が止まらなくなった。


沼津市を横断して富士市へ。
15時前、吉原駅でKさんの友だちのSさんと合流する。
田子の浦港の周りを歩く。
住宅はいつのまにか消えて、見渡すと日本製紙であるとか製紙工場の煙突ばかり。
物流倉庫や中小企業の社屋が並ぶ。
「鈴与」「NISSHINBO」や「ジャトコ」といった大きな企業の看板が目立つ。
人通りはなく、行き交うのはトラックばかり。
工場の裏に「東京ヘルス」という風俗の店があって、コンパニオン募集と。
日曜の昼、広い駐車場には車がまばらに停まっている。
国道に出ると向こうに「Round 1」が見えた。


もう少し歩くと岳南鉄道の吉原本町に出る。
沿線沿いは世界夜景遺産に登録されたとSさんは言う。
工場の明かりに懐かしき昭和の風情があるのだと。
アーケードの商店街に出る。すらっと長く伸びている。
しかしシャッター街となっていて開いていても客がいない。
古きよきおもちゃ屋にも子どもの姿はなく、
演歌のポスターを貼ったレコード屋もまたしかり。
ベビーカーをまばらに置いているだけの店舗になんだかゾッとしたものを感じる。
英語でメニューの書かれたフィリピンパブや料理の店。
街を歩く人たちも日本語ではなかった。
浜松はブラジルから来た日系人が多いと聞く。
ああ、これが今の東海道五十三次なのか。
ここを参勤交代していたのか。


そこから先は富士市街の穏やかな街並みが続いた。
17時前、セブンイレブンに入る。
僕が淡々と歩き続けてちっとも休もうとしないし何も口にしないのをKさんは「タフですね」と驚く。
昼に寿司屋でお茶を飲んだだけであとは水分を補給せず。
トイレに行きたくなるから、ということもあるけどそもそも僕汗をかかないんですね。
それって新陳代謝がよくないわけであんまいいことじゃない。
それでも一応水分を取ろう、疲れを取ろうとC-1000タケダを。
あと、使い切ったティッシュも補充する。
信号に差し掛かるたびに足首や太ももをストレッチしていたので足は大丈夫。
さほど疲れてもいなかった。
強いて言えば花粉症と、肩凝り。今日は何も背負ってないのに肩だけに疲労感がある。
昼頃これは今日やばいかもと思ったけど、昼を食べてからはそうでもなくなった。
ジャケットのファスナーをしっかり上まで上げていたのを
日差しが強くなって温かくなったから前を開けたからか。


富士川に差し掛かる。
この辺りが東電のエリアの西の端。
つまり、50Hz / 60Hz の境目。
橋を渡る。歩いて5分以上かかる大きな橋。
低いダムのようになって流れを堰き止めている。
夕暮れ時、「ここから先は西日本なのか」そう思うと感慨深かった。


渡りきって、坂を上る。
オレンジ色の日差しの当たった富士市を見下ろす。
赤と白の煙突が誇らしげに見えた。
住宅地の中を歩いて一里塚に着いて無事に今日のゴール。
富士川駅へ。駅前で少し飲んでいきましょうとなるも店全くなし。
とりあえず隣の富士駅まで行けば何とかなるかと東海道本線に乗る。
僕はそのまま帰ることにした。
路線検索すると21時過ぎになって、結構な時間だなと。
富士駅の車内で別れて座席に座るとすぐにも日が暮れる。
沼津が終点で向かいのホームの東京行きに乗り換える。
横浜まで1時間半。
アメリカの鱒釣り』の続きを読んだ。
東横線に乗り換えてさらに大井町線上野毛駅で下りた頃、ちょうど読み終えた。


Kさんとは銀座線を渋谷から浅草まで歩くと楽しそうだとか
あれこれアイデアを出し合った。
今年どこかで仲間を募ってやろうかと思う。
そもそも僕自身、東海道五十三次を最初から、日本橋から、歩いてみたくなった。
早いうちに企画したい。
歩くことは楽しい。