熊本へ その3

エコパーク水俣」という木々や芝生の青々と茂る大きな公園へ。
後から聞いた話では東京ドーム13個分の広さだったか。
朗らかな歓声が聞こえ、水俣病資料館のある高台から見下ろすと
グラウンドで中学生か高校生が野球の試合をしていた。
この公園はチッソメチル水銀を何十年と流し続けた水俣湾のヘドロを除去し、
埋め立てることによってつくられたという。
今、水俣市は「環境モデル都市」に認定され、
「日本の環境首都」とも呼ばれる。


資料館の中に入る。無料。ひっそりと静かな施設だった。
最初に水俣病の歴史を追う16分の映像を見る。
チッソと共に発展した水俣村が町になり、市となり、
空襲を経て戦後高度経済成長へ。
ビニールを柔らかくするなどで利用されるアセトアルデヒド
1950年代に入って製造されるようになる。
その過程でメチル水銀が廃液と共に排出された。
猫が踊り、鳥が落ち、魚が浮かぶ。
そして1956年、初めての患者が認定された。
農作物が育たず、自分たちで獲った魚介類を食べることで暮らしてきた
貧しい漁師の家族が、末端に生きる人たちが、一番の標的になった。
胎内でメチル水銀を吸収し、生まれながらに水俣病という子どもたちも生まれた。
以後、患者とその家族とチッソ・県・国との戦いが続く。
生きているうちになんとかすべきだとの声が高まり、
1990年代に入って多くの訴訟が和解となるが、
水俣を離れて関西方面に逃れた人たちの補償はどうなるのかといった問題が残った。


患者の方たちが残した言葉、最後の生の痕跡が壮絶だった。
劇症型で発症し、発作で暴れ病院の壁を引っ掻く。
恐らくコンクリートなのだろう、それが爪の形にえぐれている。
患者たちの生活を写した写真も悲惨だった。
障子は破れボロボロになり、新聞紙を壁に貼る。
家財道具と呼べるものは何も残っていない。
その中で痙攣し白目を剥いた子供を抱える、疲れ切った、着の身着のままの母親。
ただでさえ辛い毎日なのに周りの家からは差別され石を投げられ、
子どもを病院に連れていくにもタクシーが拒否し、リヤカーに乗せて何kmも歩いていく。


これだけでも見ていてやるせないのに
こちらの資料館は水俣市の施設だからか
まだチッソの側からも患者の側からも一定の距離を保って
ニュートラルであろうとしている。公平さが大切なのだと。
もうひとつ民営の資料館は共産党系? もっとえげつないというか
凄惨な状況を包み隠さず伝えようとしているのだという。
ささっと検索するだけではどこにあるのか見つけられず。
次はこちらの方も見てみたいと思った。


屋上の展望台に上る。
ソーラー発電のパネルが並ぶ。とんびが飛んでいる。
青空の下、海はキラキラと輝いている。
港に漁船が並んでいる。
こんなに穏やかで美しい海なのに…、なぜ? と思う。
今はそれを取り戻すことができた。
何事もなかったかのように青い海が広がっている。


資料館の入口に戻ってきて、写真家:桑原史成の写真集『水俣事件』
(2014年度の土門拳賞を獲得している)と
水俣病の不条理に挑んだ男 川本輝夫」というパンフレット、
語り部の会がつくったポストカード(1枚50円)を2枚買う。
ポストカードの1枚はきれいになった水俣湾海底のミズクラゲ
もう1枚は語り部:杉本栄子・雄兄弟の言葉「人様は変えられないから自分が変わる」
川本輝夫は「チッソ水俣病患者連盟」の委員長を長年務め、晩年は市議会議員として活動した。
その市議会での最後の発言は「水俣湾を世界遺産へ」だった。


ロビーでは千羽鶴を皆で折ろうという呼びかけがなされていて
僕らもまたソファーに座って折り紙を折った。
十数年ぶり、もしかしたら二十数年ぶりの鶴は形の不揃いな不格好なものとなった。


この人は恐らく水俣病の患者なんだろうなという方が入ってきて、受付の方と世間話を始めた。
子どもの頃に成長が止まったのか背が低く、ひょこひょこと歩いて、
言葉にも不明瞭なところがあった。
受付のところに置かれていた車椅子をゆっくりゆっくり時間をかけて入口まで押していった。


外に出てモニュメントパークへ。
棚田のようになった広い空間にステンレス製の球体が108個アトランダムに並べられている。
現代アートのような空間なんだけど
「もしかしてこれは水銀を表している?」と誰かが言い出し、
その瞬間なんだかぞっとしたものになる。


生垣迷路があって、分かれ道に差し掛かると出題が。
熊本県の平均気温は 右:2℃上がった 左:2℃下がった」というような
エコロジーへの注意喚起となるもの。
「どちらが再生可能エネルギーでしょうか。右:風力発電 左:原子力発電」というのもあって
これってここが東京電力九州電力ならば当然のごとく原子力と答えるのが求められるだろうし、
なんだか微妙だった。


広い敷地内の遊歩道を歩いていると階段があった。
ゴツゴツした岩だらけの磯に出る。
潮だまりの水は透明で、何の濁りもなく澄んでいた。