『いとしのレイラ』

40を過ぎて、音楽の趣味がどんどんオッサンっぽくなっている。
UK/USともに若いバンドの新作は買っても一度聞いて終わり、
というか The Strypes とかよほど話題のグループじゃないと買わなくなってきた。
iPhone の曲もどんどん入れ替えて、ここ2ヶ月ぐらいで
ストーンズ、ジミヘン、エリック・クラプトンばかりになった。


ジミヘンは単純に、これ以上にハードで実験的なギターはないなと。
エリック・クラプトンは聞いてて気持ちいいんですね。
…って、僕の口からこんな言葉が出てくるとは
10代、20代どころか30代の僕にも想像ができなかった。
(10代の頃、よさが全くわからなかった。
 90年代に入って『Unplugged』が大ヒットしたので
 中古で見つけて買ってみてもちっともピンと来なかった)


今聞くのは70年代前半のものだけ。
特にソロの1枚目と次の『461 Ocean Boulevard』
ブルースにさほど興味があるわけではなく、ただ音の抜け具合がいいからと。
60年代に確立したギターの神様としての虚像、
その役割を全うしなければならない責任感から来る息苦しさにあえいでいた頃、
スワンプであるとかアメリカ南部の音楽と出会うことで生まれた解放感。


この頃のロックは演奏に込められたソウルが違うんですよね。
その後どれだけテクノロジーが発達してもその再現はできない。
同じだけの高みに達したグループは数えるほどしかいない。
レディオヘッドとかレッチリとか、ニルヴァーナとか、それぐらい。


70年代前半はそこにルーズで猥雑なノリがあった。
本格的に常習するようになって歯止めを効かせるものがなかったドラッグによるものか、
60年代末のロックがその創造性のピークを越えた後、肩の力が抜けたのか。
ストーンズだと『メインストリートのならず者』
エリック・クラプトンだとデレク&ザ・ドミノス名義の『いとしのレイラ』
どちらも10代・20代の自分にはわからなかったな。
『いとしのレイラ』なんて恥ずかしながら、聞こうともしなかった。
今年の4月に生まれて初めて聞いて、悔し涙が出た。
こんな名作をずっとほっといていたなんて。


正直今も表題曲「いとしのレイラ」は特に好きではない。思い入れがない。
ギターを弾くわけではないので、イントロのあのフレーズに特に感動はない。
だけど他の曲でのデュアン・オールマンとの絡み合いはどれも素晴らしい。
バックのメンバーの演奏もこなれている。
これがたった10日のレコーディングで、
しかも始まりの頃は手持ちの曲がほとんどなかったとは。
神がかった瞬間ってこういうのを言うのだな、と思う。