走るときに考えること

走っているときに皆が考えることはいったい何なのだろう?
煩悩にまみれているのか。
何も考えないものなのか。
抽象的なイメージがとりとめなく続く人もいれば
理路整然と数式が発展していくような人もいるだろう。
無数の声が、言葉が折り重なるという人もいるだろう。
過去の自分の声。誰かの言葉。


誰もが言うことだけど、
走っているときと座っているときとでは考え方が違う。
走っているときの方がいいアイデアが浮かぶ。
煮詰まった考えがいつのまにかスッと解きほぐされている。
あれって何なのか。身体を動かすと脳が活性化するからか。


だったら人はなぜ、走りながら仕事をしないのか。
システムエンジニアが難易度の高い設計を考えているとき。
コピーライターがプレゼンに備えて100個のコピーを考えているとき。
政治家が重要な決断を迫られているとき。
「ちょっと公園走ってくる」とできないのはなぜか。
サボってると思われるからか。
それはなんだか、もったいない。


煮詰まったら会社の近くの公園を走ってきていい。
そのためのロッカールームがある。
社長がジョギング好きなので、皆走っている。
そんな会社があったっていい。
あったら今、僕が入りたい。


googleappleマイクロソフトのような企業の本社は
託児所や従業員の子供のための教育施設など
オフィス環境がとても整っていてひとつの町のようになっていると聞く。
広大な敷地内にグラウンドやジムや体育館があったっておかしくない。
ジョン・アーヴィングの小説を読んでいると
大学の先生が講義の合間にレスリングで気分転換を計っていたりする。
ああいうの。


気分転換のための施設が喫煙所だけ、
しかも最近はビルの外にあったりというのは
何か大切なことを見落としているように思うんですね。