オーディオを聴く

学校で知り合った方の家に遊びに行ってきた。
自宅にオーディオルームがあって
スピーカーのパーツもコツコツ自分で手作りしている、
床下に潜り込んで配線もするという話を聞いて
その作業途中の写真も見せてもらって、
いやー是非聞いてみたいですねと言ったらどうぞどうぞと。


オーディオルームへ。
リスニング用のゆったりしたソファーが部屋の真ん中にあって座らせてもらう。
最初は定番ということで
ケルテスの指揮するウィーン・フィルによるドヴォルザークの「新世界」
大きな音で部屋いっぱいに鳴り響くというただそれだけでも感動してしまう。
高音ってただ音が高いだけじゃないんだな、
すっきり澄み渡るような開放感があるんだな、と気づく。
低音もずっしりと腹持ちがいい。
第一楽章が終わって、SACD(CDではない)からアルバムをレコードで。
音の広がりがまた変わってくる。
SACDが縦横高さの立体としての広がりだとしたら
レコードは一点へと向かう深みとでもいうか。


次の今井美樹の歌うユーミンのカバー集。
「卒業写真」や「あの日に帰りたい」
目を閉じて聞いていると Billboard Live Tokyo や Blue Note Tokyo
目の前で歌っているかのよう。


岡村さん、持ってきたのあるでしょということで
フルトヴェングラー指揮のワーグナー
ワルキューレの騎行』第三幕第一場の冒頭、
地獄の黙示録』のヘリコプターが襲撃する場面でも流れた例の有名なやつ。
こんなすごい音楽はないと日頃 iPhone で聞いていたのを
再生してみたら音がとても窮屈で広がりが全くない。
モノラル録音だからだろうか。
このステレオと相性がよくない、チューニングが合っていなかった、
すみませんと謝られるんだけど
その後同じのでショルティが指揮するのに変えてもらったら
ズシンズシンと打ちのめされながら天に昇っていくかのようで。
金管楽器ってこんなふうに鳴り響くものなのか。
まさに天使たちの進軍ラッパ。
ああ、僕がこれまで聞いていたのはいったい何だったのか。


その後いくつか、お気に入りのアルバムを1・2曲ずつ聞かせてもらった。
ダイアナ・クラールの歌う「夢のカリフォルニア
辻井伸行の弾くショパン
ダニー・ハザウェイの娘、レイラ・ハザウェイのソロ。
ジョージ・クルーニーの叔母であるジャズシンガー、
ローズマリー・クルーニーによる「いそしぎ」など。


最後は美空ひばりの歌う「悲しい酒」の途中セリフ付き。
60年代のアナログ、80年代のデジタルとふたつの録音が
Flat Transferで収められている。
つまり、マスターテープからそのまま。
イントロで爪弾かれるギターの音からして違う。
舞台の幕が開いて美空ひばりが歌う。
単に情感たっぷりだなあというのではなく、
その人となりや生き様が肉声を通して腹の奥まで響くかのような。
美空ひばりってこんなすごい人だったのか…
今更ながら、恥ずかしながら、そんな身も蓋もない感想を。
解説を読んだら、美空ひばりはオーケストラも含めて
バックの演奏も歌も一緒の一発録り。しかもワンテイクのみ。
その緊張感足るや、と。
CDは『Stereo Sound』誌の読者のために特別に頒布されたもの。
一枚一枚がハンドメイド。9,000円弱だったかな…


その『Stereo Sound』誌で、元はっぴいえんどにして作詞家の松本隆氏が
スピーカー選びについて語るのを読ませてもらった。
音楽配信がどうあるべきか、の話が面白かった。
向かうべきところに向かうんだろうけど、
演奏する側、聞く側が音楽というもに敬意を払っていないと
いい方向に進まないといったことを話していた。


美空ひばりの後では何も聞く気になれず。
もう一枚、ストーンズの『Let It Bleed』を持ってきていて
「無常の世界」がどうなるか試してみたかったんだけど
もういいかと。


ガラス製のCDも見せてもらった。
マルタ・アルゲリッチのソロピアノだったかな。
ほんの少しだけ重い。
これ以上重くなると再生できなくなるらしい。
プラスチックだと経年劣化で反ったり、表面が傷ついたり。
それで生じたエラーをプレーヤーの方で補正するものなんだけど
ガラスだとそれがないからいつまでも音が美しい。
こちらは10万弱…
壊したら大変と怖くて聞けなかった。


そんな感じで一日を過ごして帰ってくる。
僕もオーディオルームやホームシアターのある部屋を作りたいなあ
などと夢想しながら。
いつになることやら。