児童文学の誕生

選本の話の続き、というか余談。
いろいろ集めていくうちに気付いたのが、
児童文学の古典というのが20世紀の初めに多いんだな、ということ。
いくつか挙げてみると…


ライマン・フランク・ボームオズの魔法使い』(1900)
セルマ・ラーゲルレーヴ『ニルスのふしぎな旅』(1906)
ルーシー・モード・モンゴメリ赤毛のアン』(1908)
メーテルリンク『青い鳥』(1908)
ジェームズ・M・バリー『ピーター・パンとウェンディ』(1911)
J・ウェブスター『あしながおじさん』(1912)


もちろんこの時代に限らず
19世紀後半にも『不思議の国のアリス』はあるし、
20世紀末には『ハリー・ポッター』シリーズも生まれている。


でもなんか並べてみると流れが見えてくるんですね。
19世紀末とその残り香が児童文学を方向づけたというか。
19世紀半ばにバルザックディケンズドストエフスキーらが
現代に到る小説の枠組をつくったとしたら
(この複雑な現実を描くならばそれは膨大な量の言葉を必要とし、
レ・ミゼラブル』のように何巻もの冊数が当たり前となった)


確立されたものが様々なジャンルへと浸透、拡散していくうちに
そのひとつが児童文学へとしてまとまっていったんじゃないかと。
だから多くの場合単発の作品じゃなくて
続編がたくさんあるのが普通なんですよね。
人気が出たから書いたんじゃなくて
そのころの物語は一人の人間の人生を
じっくりと追っていくことが目的だったから。


(同じように19世紀末に明確にジャンル化していったのが
 コナン・ドイルによるミステリーだったり
 H・G・ウェルズによるSFだったり。
 それも19世紀半ばにエドガー・アラン・ポーという先駆者を持つ)


それにしてもこれらの作品がいつ書かれたかなんて
これまで考えてもみなかった。
民衆の間で語り継がれてきた童話ではなくて
作者のいる小説なのだということは知っていても
それがいつの時代のものだったのか、というのは自分の中で曖昧だった。
多くが100年も前であり、今も読まれているということに驚かされる。
新しい世代に読み継がれている。
これから先も読まれていくのだろう。
『モモ』は耐えられるのか、『ハリー・ポッター』はどうなのか。
そんなことをぼんやりと考える。