安保法案とSNS

安保法案の採決を巡って、
昨日今日と facebook ではコメントを述べたり
関連する記事のシェアばかりとなった。
ざっと見る限りその100%が反対であって、
民主主義はどこに行ったのかと憤慨するものだった。
これを世論と捉えるのは短絡的とはよく言われることで
賛成意見の人はネット社会をスルーしているのだと思う。
そういう発言の場を特に必要としていない。


個人的なちょっとした出来事を書いている人の割合は
感覚値として半分以下か。
あとあるとしたら国立競技場問題。
なんだか発言しにくいというのは、震災以来のことだ。
これで一層 facebook 離れが進むのではないか。
僕も最近書き込みたい、という気がしなくなっていた。


twitter のタイムラインは僕の場合
全くと言っていいほど安保法案の話題は見かけないけど、
そもそもの話、よくわからない広告ばかりになって
昨年からほとんど見なくなった。


SNSって終わったのかな、となんとなく思う。
しかしそのオルタナティヴが見当たらない。
終わったのは僕のほうか、とも思う。
Instagram をやってればまた気分が違うのだろうか。


僕だけが知らなくて僕以外の皆が参加している SNS があるんじゃないか、
そういうことを考えるときもある。
今日はそう思わない。そんなのあるわけがない。
そんな今日は健康に過ごせている方だ。


 ・・・


安保法案については暗い気持ちになる。
なんでこういうことになるのかよくわからない。
なぜ誰も止められないのか。


若い人が最近デモに加わっているという。
裾野が広がっている。
そういう傾向が高まれば高まるほど、現行政権の優位性もまた高まると思う。
そこには相関関係がある。
抗議する側が一枚岩となることができなくなって、
その多くが「気分」に左右されるようになる。
そこにあるのは意見や意識というよりも、気分であるように感じる。
それが悪いわけではないんだけど。
なんだかモヤモヤする。