『強烈なオヤジが高校も塾も通わせずに3人の息子を京都大学に放り込んだ話』


今から半年前。僕の関わっている学校のイベントで
『強烈なオヤジが高校も塾も通わせずに3人の息子を京都大学に放り込んだ話』
http://www.amazon.co.jp/dp/419863842X
この著者である宝槻泰伸さんが対談するという。
昨年話題になり、タイトルからして強烈なので気になっていた本。
残念ながら予定が合わず、聞きに行けなかった。
せめて本だけでもと思うが、図書館で予約したら数十人待ち。
それがようやく先週末届いた。
せっかくなので借りて読んでみることにした。


ちょっと拾い読むとこの辺りの考え方が近いかな。
「その知識を学ぶことを通して、
 新しい物事の見方や捉え方ができるようになることに意味がある」
「親や教師という縦の関係でもなく、友達という横の関係でもない。
 斜めの関係だからこそ、伝えたり共有したりできることが世の中にはたくさんある」
「知識を学ぶのではなく、ストーリーを学ぶ」
「言葉はインプットだけではなくアウトプットの機会によっても磨かれる」
「試行錯誤の機会を重視する。それは遊びの中にもある」
「理科と社会が個性を作る。国数英ばかりを学ばせるのは考えもの」


僕が関わっているのは「方法の学校」なので
常日頃 5W1H の「How」がいかに大事かって言ってきたんだけど
そこには「How to do」と「How to be」があって、後者の方が大事、
それはロールモデルと出会うことによって磨かれる
と書いてあるのを読んで、なるほど! そうか、そうだよなー! と。
前者は方法そのものだが、後者はその背景となる世界観。
その人の見方であり、あり方。それをどう深め、広げるか。


後半の、結果よりもプロセスを重視するならば振り返りが伴うべき。
という考え方も深く頷かされた。


読んでみるとそれほど強烈なオヤジではなく
(たぶん実物はかなりアクが強そうだが)
生まれながらのセンスをもった教育のナビゲーターというか。
何をどうしたら子どもたちに知的探究心を持たせられるか。
自分たちで試行錯誤して楽しく学ぶようになるのか。
ただその一点をパワフルに押し進めたというだけ。
普遍的なことであって、全然トリッキーな話ではなかった。


元々がブログなのでスルスルと2時間もあれば読める。
著者の主張の根っこはこの2点に尽きるかな。
「大切なのは可能性を信じて、種をまき続ける行為」
「教育は学校の先生で文部科学省でもなく、
 教育を受け取る親によってその形を決められている」
僕にも子どもがいたら、受け止め方はもっと変わっていただろう。