熊本帰省 その4(8/9)

昨晩はなかなか寝付けず。9時起き。
甲子園第一試合は津商業と智弁和歌山
そりゃやっぱ何度か優勝している智弁和歌山かと思いきや
津商業の方が打線が噛みあって小気味よく追加点を重ねていく。
あれよあれよというまに勝ってしまった。
今年は愛知と岐阜、大阪と滋賀。隣の県の対決が多いですね。


10時に出る。
墓参りの後、「花いち」というとんかつ屋へ。
先週たまたま、食べログの熊本で一番点数の高い店はどこだろう?
と検索してみたら「勝裂亭」という店が4点台でダントツのトップ。
そこに行ってみたいと言ってみたところ、だったらこっちのほうがうまいと。
なるほど、悪くない。サクサクでジューシー。
僕はロースを頼んだけど、分けてもらって食べてみるにこの店はヒレかな。


親戚の皆さんの家を回った後でもう一つの墓参りへ。
(いつも気になっていたゴミ屋敷が売り家になっていて、××万円の値が付いていたことに驚く。
 かつてを知っているとありえない。窓も割れていて住めないよ。よくゴミを片付けたなあ…)


通潤橋」を見に行こうとなる。
東へ。上益城郡山都町にある。右へ左へうねりながら山道を行く。
御舟町から山都町へ。
平地では水田もありつつ、途中完全に山の中。
林業で暮らしているのかポツリポツリと集落があった。
さすがに僕もウトウトしてしまった。


通潤橋に着く。
山都町は「八朔祭」で有名で、藁や木切れ(?)などを
組み合わせて造った大きな像を掲げ練り歩くらしい。
来る途中で見ることができた。
駐車場にはアナ雪の主人公と、ユーモラスな少年の忍者と二体飾ってあった。
水田の向こうに通潤橋。川の上にアーチ型の橋がかかっている。
サイフォンの原理で水をくみ上げる。
1854年、時の庄屋:布田保之助が水不足を解消するため肥後の石工を集めてつくった。
江戸時代末期の技術力の高さ、プロジェクトマネジメント能力の確かさを思う。
登ってみる。実にしっかりしている。高さ20mで長さ28mなのだという。
周りの水田とその間を流れる小さな川を見下ろす。
これぞ日本。心が和む。美しい風景だった。
残念ながら夏だけど橋のてっぺんからの放水はなし。
今はなかなかその機会はなく、「八朔祭」のときに放水するらしい。


渡りきって少し行った先に江戸時代の家屋をそのままに残した資料館があったが、
飾られているものは手入れをされている感じではなかった。
布田保之助の肖像画やアーチの足組の模型、工事で使ったと思われる竹菅など。
ソーダ水の飲める売店があった。雨がポツリポツリと降り出して引き返す。


もっと上の方に行くと貯水池の「円形分水」があるという。
それを車で見に行ったのであるが、ゲリラ豪雨とぶつかる。外に出られず。
貯水池の真ん中にはとても大きな円形の分水盤とでもいうのか、そういうのがあった。


山を下りていく。しばらく雨が続いたけど30分もしないうちに完全に晴れ。
山の上だけスポット的に降ったようだ。
宇城市の道の駅に寄っていく。
夜食べるものを買う。寿司が半額になっていたので思わず買い物かごへ。
JA熊本のブランド「ジューシー」のレモン果汁入り炭酸飲料を飲む。
妻はデコポンジュース。
帰り道はすぐだった。
僕のたっての希望で「ヒライ」でちくわサラダを買う。


夕暮れ。まだ日は暮れていない。
家に着いて妻と散歩に出かける。下江津湖をぐるっと回る。
歩いていると湖の向こうに日没。真っ赤な太陽が山の端に沈んでゆく。
何年振りに見る光景だろう。
釣りができる。外来種の魚を釣った方はこの回収箱に、と置いてある。
ブルーギルブラックバスなど。全国で問題ですね。
回収箱を試しに開けたら大きなのが一匹、バケツに入って死んでいた。
日が暮れて田んぼの間を過ぎて新興住宅地の中を帰った。


買ってきた寿司や刺身、ヒライのちくわサラダなどを食べながら缶ビールを飲んで
その後焼酎のロック。
いろいろな「差」を検証する番組を見る。
ベテランと新米の実演販売の差。緑色と赤の心理的な影響の差。
美容室でこれができる美容師はいい、という差。
面白い番組だった。


明日は長崎に行ってみることになる。
6時起きでフェリーになる。
午前1時に眠る。