餃子というもの

昨日の帰り、妻と LINE で「今晩何食べる?」という話になって
餃子に決まる。野菜のたくさん入った餃子。
僕が青森の家で食べていた餃子は豚挽肉・白菜・ニラ・ニンニクだったろうか。
家庭によって何を入れるのかは変わるだろう。
今回はさらにキャベツと蓮根、生姜を入れてみた。挽肉は鶏。
帰ってきて野菜を切ってボウルに入れて、挽肉と混ぜ合わせる。
バラバラだった具材がいつのまにかまとまってきて、ネロネロとなる。
ああ、懐かしい感触だなと思う。ごま油を入れているので香りもいい。


「宇都宮で餃子食べた後温泉で一泊するとしたら鬼怒川か」
「宇都宮って餃子の消費量が日本一ってだけじゃなく
 寿司の消費量も一位見たいよ」


そんな話をしながら皮に具を詰めていく。
欲張ってミチミチにしようとしてどうにもはみ出る。
なかなかうまくいかない。
子どもの頃、けっこううまくできたのに。
形は不揃いでも焼いて食べるともちろんおいしかった。
蓮根はいいですね。
次回は筍を入れてみようと思う。


そういえばこの前読んだ伊丹十三の『女たちよ!』では
皮をこねるところから始めなければ餃子じゃないとあったな。
それぐらいしてみたいとこだけど。


余った具はフライパンでそのまま焼いた。
青森の家ではそうしていた。
こんなとき、他の家ではどうしているのだろう?
ハンバーグのようなものができあがる。
つなぎに卵を入れてもよかったな。


皮に具を詰めて口をしめる。
これが家庭の幸福とか平和の象徴のように思えて。
自分たちで皮に具を詰めて焼くことのできる餃子屋があったら繁盛するだろうか、
そんなことを考える。
妻は即座に「食中毒のことがあるから無理」と。まあそうだよな。
餃子と酒があるだけのカウンターだけの小さな飲み屋をやりたいな、
なんてことも思ってみたり。