入院六日目

体力が戻ってくるとベッドで本を読んでいるだけの1日はたいして疲れるわけでもなく、
22時の消灯になっても眠れない。
昨晩は薬に頼らず眠れたけど、今日は睡眠誘発剤を飲むことにした。
誰かのイビキが気になりだすともうダメ。
一昨日のように浅い眠りで浅い夢を繰り返す。
昨日のように午前3時になると眼が覚める。
気がつくと6時。
夜勤の看護師の方が来て体温と血圧を測る。
もはや夜中呼び出すこともない。
その日の勤務の最初と最後に顔を合わせるだけ。


午前中退院判定としてCTスキャンを受ける。
造影剤を飲むため朝食はなし。水分の摂取はいい。
血管に瘤ができていないか見てみて、問題がなければ明日退院となる。
日勤の担当は三日連続で同じ方となる。テキパキしたできる方なのでいいけど
(昨日も薬をやめなかったので手術できず即日退院問題に途中からスイッチ)
なんかローテーションの法則性ってあるのだろうか。前半は日替わりだったけど。
嫌われていたり扱いにくかったりするのだろうか。いや逆に手間がかからないから、
術後が大変な方とセットになって負担を減らしているのか。そう思うことにしよう。
なんにせよこの方には感謝の気持ちで一杯である。
朝晩飲んでいた痛み止めが今日で終わり。念のため引き続き出してもらうようお願いする。


『ベスト・アメリカン・短編ミステリ2014』の続きを読みながら待つ。
10時になって呼ばれる。一階へ。
手術前の検査で来た時はここではない西棟で CTスキャンを受けたので
そこまで横断歩道を渡って歩くのかと思いきやそんなことはなく、中央棟の一階にもあった。
一人でエレベーターで下りていく。手術の翌日、レントゲンを受けたところと同じ受付だった。
向かいは救急外来となっている。お年寄りと小さい子を抱えたまだ若いお母さんと。
CTスキャンの検査室の前で待つ。無人の長椅子が並ぶ。「使用中」のランプがついている。
向かいの部屋は MRI だった。
待っている間に CTスキャンの説明を書いたプレートを読んだ。
どちらもストレッチャーに乗って大きな輪の中を潜るのは同じだが、
CTスキャンはレントゲンであって数秒と短時間で撮影可能だが被爆する。
MRI は水素原子を磁力で振動させて、だったか。よくわからなかった。
こちらは全身を撮影するのに数十分要する。しかし、妊婦や年配の方にはこちらが望ましい。
自分の番になる。ストレッチャーに寝そべって
腹から出ているドレーンとチューブでつながった、
排出された血液を注ぎ込む透明な廃液バッグを足元に置かれたカゴへ。
昨晩まで使っていた左腕の点滴の管から食塩水と造影剤を注ぎ込む。
漏れないように、針がしっかり固定されているか念入りに確認する。
今回の件で造影剤も三回目になるけど、今回が一番身体が温まった。
それがなんだかゾワゾワさせた。


終わってまた一人で9階に戻る。
水分をたくさん摂取して造影剤を排出してくださいというので、
デイルームの自販機に行って「午後の紅茶」の無糖のペットボトルを買う。


12時になって食事。
五目釜飯。焼魚。インゲンのソテー。茄子と牛肉の炒め煮。モヤシとキャベツのマリネ。
腹が減っているので妻が先週京都に行った時のお土産の洋菓子と
昨日ここに来る途中の和菓子屋で買った葡萄大福を食べる。
食べ終えてデイルームに今度は伊藤園の「伊右衛門」を買いに行く。
先に自販機の前に立っていたおばあさんが書いているのが見えないというので、
買うのを手伝ってあげた。


12時になって物語講座の八綴が開講。受講の手引きや最初のお題が届く。


13時前に検診。体温と血圧。
退院を前提に軽く、その後の生活指導を受ける。
シャワーは今日からでも可。入浴は次回外来まで我慢。
食事も制限はないが、お酒は同じく次回外来まで我慢。
今回の手術に関係なく暴飲暴食しないこと。
腹に固定したボンドは人工的に瘡蓋をつくるようなもの。
瘡蓋なのでそのうち剥がれてくるし、その時は痒くなる。もちろん我慢すること。
仕事についても制限なし。
しばらく定時では帰れるだろうけど1時間の通勤電車が気になる。
そんなことを話すと、来週も休むかどうかは金曜ぐらいに判断すればよいのではないかという。
時短や時差出勤でもいいんじゃないですかと。


『ベスト・アメリカン・短編ミステリ2014』は後半に入ってジョイス・キャロル・オーツへ。
やはりこの人がダントツでうまい。ほぼ毎年選出されているので、
歴代の作品を集めたものを日本のオリジナルで出すといいいと思う。
フラナリー・オコナーが現代に生きていたら、ジョイス・キャロル・オーツとなるか。


本を閉じて、寝そべって、雲ひとつない青空とその下の東京のビル群を眺める。
入院の日や手術の日ですら遠い昔のように感じられる。
カテーテルやドレーン、点滴のチューブで全身を覆われて寝てる以外になかったのがほんの数日前。
シルバーウィーク初日のニコタマ家飲みも
入院前日の羽田までのサイクリングもその後の渋谷の飲み会も、去年かもっと前の出来事のような。


本を読んでいるうちに日が暮れる。
いつまでたっても先生が CTスキャンの結果を伝えに来ない。
17時を回ってようやく。なんだか悪い予感がする。
結果、退院は延期。
事前に担当医の方から説明は受けていたけど、
手術後2週間は10%程度動脈瘤発生の可能性があると。
僕もそこにひっかかった。
CTスキャンの結果はっきりそう診断されたわけではなく、疑いがあるという程度。
しかし見過ごすわけにもいかない。
2日間様子を見て水曜にまた CTスキャンを受ける。
消えている可能性もあるし、大きくなる可能性もある。
そもそもなぜ動脈瘤ができるのか現代医学でもはっきりとした理由はわからないらしい。
なのでこの2日間でどうなるのか予測もつかない。


水曜の検査でOKならば木曜に退院。
NGならば次の日かその次の日に処置。
局所麻酔で足の付け根からカテーテルを通して動脈瘤を取り除く。
さほど難しいものではなく、本来は日帰り手術レベルであるという。
この翌日に退院。金曜か土曜となるか。
なお、この手術は泌尿器科ではなく放射線科となるらしい。
肝心の腎臓や傷口は問題なし。


何はともあれドレーンを抜くことができてすっきりする。
これで全ての管から解放された。自由の身になった。


妻、母、会社に連絡。
食事を終えて学校や心配してくれた知人にメール。
母に電話しようとデイルームに行くとテーブルを囲んで深刻な打ち合わせが。
「手術の立ち会いに10人は多すぎます!」
ほっこりと笑えてくる。
家族や親せきに愛されている方なんだろうな。


妻が会社から病院へ。
今日はスーパームーンなのだという。
ビルの隙間から真っ赤な月がのぼってきた。
18地の食事の時間になる。
焼鮭や入り豆腐、大根の味噌汁。
まあでもよかったよね、と妻と話す。
想定範囲内のことが起きたわけだし、アフターケアと思えばいいと。
そもそも開腹手術で1週間で退院というのが早すぎる。
妥当な機関に伸びただけ。


それはそうと福山雅治が結婚。
千原ジュニアも結婚。
ネットでは福山と千原ジュニアがしたという混乱した情報が流れているらしい。
OLが早退するとかさっそくまとめが出ていて、妻と眺めながら笑う。


妻が帰った後、担当の看護師の方が来て左腕の点滴を外し、
右脇腹、ドレーンを抜いた後に貼ったガーゼを
シャワーを浴びるために防水のシールに替えてくれる。
体温を測ったり血圧を測定したりはもはやなし。


デイルームでメールを書く。
20時前。そわそわした女性が一人座っている。
面会の時間はもう終わったのにな、と思っていると
手術着を着た医師が現れて
「膀胱と尿管の接する辺りで裂け目ができて…」などと説明をする。
長時間の手術になったのでまずは応急処置をしたい、
それにあたっては同意書が必要になると。
大変だ。
「腎臓を取ってしまったのでこれから初めての透析だ」
とか病室に限らずどこにいても怖い話ばかり聞く。


20時。シャワーを浴びる。
傷口がしみるんじゃないかとひやひやしたがそんなことはなかった。
鏡でマジマジと傷口を見てみる。
縦に割くのかと思いきやスパッと真横。
これが腰の最も肉のつきやすいところで。
ふとったらはちきれそうだな…
シャワー室を出る。
24時間以上着ていた病棟の浴衣と
トランクスの代わりに履いていたT字帯から解放され、
Tシャツと短パンになることができて心の底からさっぱりした。


デイルームにまた戻って
冷蔵庫に入れていた冷たいミネラルウォーターを飲んだ。
冷たくて気持ちよかった。生き返る。