入院七日目

22時消灯。
浴衣を脱いでTシャツとトランクスになるとさすがに眠りやすい。
むしろ寒いぐらい。布団をかぶって眠る。
今晩は睡眠誘発剤なしで。何度も目を覚まし、そのたびにトイレに行く。
脇腹をボンドで固定しているため寝返りを自由に打てないのが辛い。
今はそのボンドの違和感があるだけ。
ベッドに寝そべったり起き上がったりが
案外腹筋を使うものなのだなということが今回分かった。
毎回手こずる。
ボンドだから徐々に柔らかくなるということがなく、ずっと同じ硬さのまま。


6時過ぎに目を覚まし、体温を測ると35℃台まで戻っている。
『ベスト・アメリカン・短編ミステリ2014』を午前中ずっと読んでいて、読み終える。
ベスト3を選ぶならば
アンドレ・コーチス「越境」
ジョイス・キャロル・オーツ「いつでも どんな時でも そばにいるよ」
ランドール・シルヴィス「インディアン」


「越境」は徴兵忌避でアメリカを去った登山家が結果として
アメリカに対してなされるはずだった犯罪を阻止する話。
アメリカを救いたかったのではなく、
ひとりの孤独な人間として良心に従ったから。
描写も展開も人物造形もテーマも、全てがパーフェクト。


ジョイス・キャロル・オーツのはストーカーもので
ありがちなテーマなんだけど、語り口の上手さだけで持っていってしまう。
現在最高峰の語り手。


ランドール・シルヴィスは思わぬ拾いもの。
恐らくミステリ作家ではなく、幅広く書く中で今作は犯罪がテーマだったのだろう。
文学性とエンターテイメントのギリギリの接点を軽やかに、だけど力強く駆け抜けてゆく。
この作家はアメリカや現代を言葉で描ける。
他に日本語訳が出版されていたら読みたかったんだけどないようだ。残念。
『ベスト・アメリカン・短編ミステリ』のシリーズでもベスト・オブ・ベストの一本。


8時、朝食。黒糖パンにマーガリン。クリームシチュー。リンゴ2切れ。
今日の担当の看護師の方はここ数日とは別のまだ新人っぽい方。
一昨日借りて昨晩まで着ていた浴衣を引き取ってもらう。
退院が伸びたからか、数日ぶりに外来の担当の先生と手術の担当の先生が顔を出す。
「年のためということなので、ま、ゆっくりしていってください」と言われる。
ゴミ回収のおばさんからは
「あら、退院が伸びたの? せっかく荷物をまとめたのに」と驚かれる。


Tシャツの上に長袖のシャツを着て短パン。
点滴の管をつけていなくて自由に歩いている。
そんな自分が病棟ではよそ者のように感じられる。
ふと外を見ると今日もまた心地よい青空。


隣の方は八戸から来ているようで、肺がんが全体に広がって手術不可。
腎臓に転移してそれは取り除こうということになり、八戸では手術できず東京へ。
同じ日の午前中に手術だった。
今も尿道カテーテルを差し、脇腹にはドレーンが。
隣で聞いていると一進一退を繰り返している。
残された腎臓の機能が上がらず、透析になるかならないかの瀬戸際。
本人としても家族としてももちろん透析は望んでいない。


ロアルド・ダールの短編集『キス・キス』と
ずっと前から読みかけだった
町山智浩柳下毅一郎『ベスト・オブ・映画欠席裁判』を読んで過ごす。
どちらも一昨日、念のため妻に持ってきてもらっていた。
退院が伸びることになり、本を増やしておいてよかったと思う。
『キス・キス』は傑作短編集『あなたに似た人』ほど面白くはなかったが、
後から気づいたら訳者が開高健だった。
『映画欠席裁判』を夕方読み終える。
面白い映画とは一体なんなのか、
アメリカと日本の映画業界の構造的な問題がどこにあるのかよくわかった。
普段映画を見ない人、見方がわからない人をターゲットにしないとヒットしない。
製作費が回収できない。
となると映像や演技で語るということができなくなって
セリフが説明的になってしまう。


昼、開花煮。開花丼にして食べる。他、八宝菜風の煮物。ブロッコリーのおひたし。
木曜からの一週間のメニューと朝昼晩の食事の希望を書く用紙とがトレイに乗っている。
いつまでいることになるかわからないが、木曜の朝まではいるだろうと
記入してトレイに乗せて返す。


妻から「徹子の部屋」に高田純次が出ると聞いて、見てみた。
何年か何十年ぶりかに見たら黒柳徹子の滑舌が相当劣化していた。
昨日から「じゅん散歩」という番組がテレ朝で平日の昼に始まったとのことでその番宣なのだろう。
昨日放映分が少し流れた。
銀座を歩く。ベビーカーを押す若い母親に向かって
「あらーこの子おいくつ? 高校生?」
さすがだ。真似は簡単にできても、誰にも許されない。
すごいところを開拓したと思う。
若手芸人がやっても味が出ないし、
中堅、いやそれ以上のクラスの芸人がやってもいじり芸で終わってしまう。
その高田純次に五歳の孫娘がいて最近あやとりが好きなのだという。
もちろん高田純次はこれまであやとりなどろくにやったことがない。
下手すぎて孫娘に怒られる。まだ五歳なので黙って怒られる。
「甘やかしてばかりなんですよ」


看護師の検診。血圧が100近くまで下がってる。どうしたんだろ。
退院後のことは聞きましたか、困ったことはないですか、と聞かれる。
熱心なんだけどまだ新人なので小さいノートをめくりながら。
血尿が出たらまずは水を飲む。水を飲んでなかったら色が濃くなることがある。
次も血尿のままだったら病院へ。ここでもいいし、最寄りの大病院でもいい。
痛みが出てきたらどうしますか? と聞いたら、原則一度治ったらありえないとのことで
もし起きたら、傷口が赤くなっていないか確認する。
シャワー時、傷口は手に石鹸をつけて柔らかく洗う。
17時よりからのシャワー、今日は言われた通りに傷口を洗ってみた。


このフロアに入院している方たちは摘出や部分切除のための手術だけではなく、
移植を受ける方たちもいる。割合はわからない。
パッと見ただけではわからない。
デイルームに腎移植を受けた方たち向けの会報のバックナンバーがあって
パラパラとめくってみる。
名前の下に、腎移植を受けた年を基準に何歳と記してあった。
なんだか怖い気持ちになって閉じた。


夕食を部屋に運んだ頃、妻が到着する。
白身魚の西京焼き(赤・黄・緑のピーマンのソテー)、
おでん(竹輪麩、がんもどき、大根、にんじん)、ザーサイ、味噌汁。
年末年始の熊本と青森の帰省の予定を立てる。熊本にはJALの早割で。
妻と話していると夜勤担当の医師の見回り。
傷口を見せるときれいとのことだが、触わるとまだ熱を持っている。
シャワーのときに触ったら膨れているように感じたのはそのためか。
赤くなっている。夜勤担当の看護師の方にも言われる。気になる。
血尿が出ているわけではないし、熱も出ていない。痛みもない。


ドレーン跡に貼っていた防水シートを自分で貼り返る。
爪が伸びていたのでナースステーションまで行って爪切りを借りる。
ホテルのフロントに向かうような感じ。