情景

雪が降り続く。
先ほど落ち着いた風がまた強くなった。
「娘」の手を握っている。
分厚い手袋越しに、あるはずの指がそこに感じられない。


歩き続けるうちに湖に出た。右側に広がり始めた。
一段低くなって、しんと静まり返って、凍りついている。
雪の塊の間から岸辺に生えた植物の群れがボロボロになって風に揺れている。
かすかに横を向く。傾いたボートが打ち寄せられていた。オールはない。
ここにまだ夏があったとき、家族連れが歓声を上げながら遊んだのだろう。


「妻」の咳が止まらなくなった。
この数日、どんどんひどくなっていく。
発作と発作の間隔が短くなり、発作そのものは長くなっていく。
立ち止りうずくまる。
僕は無言でその背中をさする。
軍隊放出の分厚いコート。
その下に、まだ捨ててなければダウンジャケットを重ねて着ている。
ゆっくりとさする。届くだろうか。
まだ間に合うだろうか。


少し離れたところから「娘」が見ている。
ゴーグルとマフラーで覆われて、それでもこちらを見ているように思う。
「妻」がわずかに顔を上げて「娘」の方を見た。
僕はさすり続ける。
「彼ら」が通り過ぎていく。
僕らがもはやここにはいないかのように。
足を引きずって、うなだれて。空腹をこらえて。
背後から言葉が聞こえた。どこか別の国の言葉だった。
僕らを追い越して消えていった。


「妻」が立ち上がり、僕のことに気付かないかのようにまた歩き始めた。
互いに「娘」の両手を取った。
「彼ら」はどこまで続いているのか。
この先に大勢いる。
振り向くと、もっと。
どこで加わったのか。いつ加わったのか。
先頭にいるであろう「男」はこのことを知っているのか。


道端に倒れた者がいる。
もうだいぶ前のことなのか、その体に雪が積もり始めている。
ここで死ねるのか。途中のここで終えることができるのか。
うらやましく思う。
背中に背負っていたはずの荷物は剥ぎ取られた後だった。
ブーツは誰かが持っていったのだろう、毛糸の靴下が雪の間から覗いていた。


今晩はどこかにたどり着けるだろうか。
火にあたって眠りたい。
コーヒーでもいい、スープでもいい、温かい飲み物を。


海辺に出た。今度は左側だ。向こう側が見えない。
風が容赦なく吹きつけてくる。
もはや寒すぎて汐の匂いを感じない。
湖とは違って凍りついていない。
緩慢な波が寄せては返している。
その音だけが聞こえる。


大きな船が朽ち果てていた。
かつては定期航路を行くフェリーだったか。
「彼ら」の何人かは足を止めて取り囲んでいた。
僕らもそうした。
いつのまに渡した板を超えていたのか、甲板の展望デッキに立つものがいた。
窓にこびりついた雪をはがすと客室に硬そうな椅子が並んでいた。
「待ってて」そういうと僕もまた板を渡った。
見知らぬひとりの後に続いて、客室の中に入った。
吹雪を逃れることができて、僕は久しぶりにスキー帽をはずした。