見殺し

こんな場面を考える。


主人公は上司なのか顧客なのかとても気に食わない人物と日々接している。
その言動にはことごとくイラッとさせられ、殺意を抱くことも多い。
とにかく人の話を聞かない。聞いたら聞いたで都合よく話を捻じ曲げられる。
普段言ってることも程度が低い。こいつバカじゃないか、と軽蔑している。
しかしそれは顔に出さず、割り切って仕事をしている。
それが大人だから。それが会社だから。


仮に上司とする。
あるとき、脇腹を抱えてイテテと苦痛に顔を歪めているのを目にする。
最初のうちは何とも思わない。大丈夫ですか、と声をかける気にはならない。
その後一週間の間に何度もイテテと繰り返す。どこかの臓器が病気なのだろうか。
他の誰かが、例えば外出先で得意先の担当者が打ち合わせの前や後に
「どうしたんですか?」と聞くとカクカクシカジカと痛みの説明をする。
「それは病院行った方がいいですよ」とその人は言うのだが、
「そうだな、そうしますよ、ハハハ」と上司は笑うだけ。
その後行った気配はない。どうも病院は苦手らしいとなんとなく知っている。


ピンと来るものがある。
それまでは誘われても断っていたのが、酒を飲みに付いて行くようになる。
差し向かいになっても割り切って、心を押し殺しながらチビチビと飲む。
決して酔うことはない。酒を飲んでも腹を割って話したりはしない。
飲んでいて上司は時々顔をしかめる。
「どうしたんですか?」と一応聞くことは聞く。
何か返ってきても「へー」とか「そうですか」と言うだけ。
そういえば心なしか上司の顔が土気色してきたようだ。


その後上司は末期ガンと分かり、緊急入院。
手術もむなしくすぐ亡くなった。
主人公は後味悪く思う。
自分は無視しなかった、適切に声をかけたつもりだと自分に言い聞かせても。
自分が殺したようなものだ、とは言わないまでも、その後押しのひとつはしたと。


…と書いてきて思うに、これって案外結構ありそうなことだな。
どうなんだろう。
とても気に食わない人がいて、
それが目の前で事故に遭ったというとっさの場面ならば人は恐らく助けるだろう。
あるいは、自分は手を差し伸べず他人が助けたときに一命をとりとめたならば
後で何を言われるかわからない、と冷静に考えるかもしれない。
それが上のように少しずつ病気が進行していく場合。
一緒にいて何をした、何をしなかったというのが、
全て間接的でどう関わったのか誰にもわからない。


時間をかけた見殺し。
しかしそれは誰もが誰かに対して日々行っていることなのかもしれない。
妻が夫に、夫が妻に。隣人に。世界中のあらゆる人に。