「ふくしま新発見講座」

昨日は「ふくしま再生プロジェクト」のイベントで豪徳寺へ。
「ふくしま新発見講座 〜新地方学入門」
http://refukushima.blog.fc2.com/blog-entry-39.html
今年は企画段階からメインで関わらず、当日のビデオ撮影のみ。


仮設住宅で行ったコンサートを東京に持ってくるというコンセプトはなくなり、
福島の語り部たちの声を東京に伝える、福島で聞いた人に語ってもらうという
シンプルな内容になった。
故郷から離れて暮らすのがもう何年にもなった人たち。
とどまって今も、収穫物を廃棄することになっても農業を続ける人たち。


いろいろと思うことがあった。
「被災地」や「仮設住宅」という言葉を聞いて、読んで、思い浮かべるイメージが
僕ら東京に住んでいる人たちは一様になっていないだろうか。
本来それは一人ひとり違う体験となるはずなのに
どれも同じものとして距離を置いていないだろうか。


こんなことを語っている方がいた。
仮設住宅を出て復興住宅に移り住むことができたが、住んでみてわかった。
復興住宅は監獄だ。
周りを壁に囲まれてしんと静まり返っている。孤独の中に取り残される。
仮設住宅の頃はよかった。大正時代の長屋のような活気があった。


え? と思う。散々聞かされた話は
仮設住宅はプライバシーがなくて辛いということだったのに。
それってなんだったのだろう?


体験とは全て個人的なものだ。だからこそ他者と共有する。
最初から共有されたものを前提として
それを個人に押し付けるようなことがあってはならない。


福島と東京の距離の遠さを改めて感じた。


もうひとつ忘れられない話があった。
除染は一般的に5cmを基準に表土を取り除く。
これは都市部も山間部も変わらない。
山では1cmの厚さの土が生まれるには
落ち葉が降り積もり…、100年の時間を要する。
5cmとなると500年。
人類のすること、したことは、一瞬で全てを変えてしまう。
その重みを、無言の重みを、僕らは知らない。