桂花團治師匠

以前お会いしたことがある桂花團治師匠が
編集学校のイベントに出演するというので見に行ってきた。
http://hanadanji.net/event/20160319isis


もう3年前になるのかな。
倉敷・尾道を皆で巡ったときに一晩ご一緒させてもらった。


前半後半で一席ずつ。その間編集術を応用したエクササイズなど。
二席目の「持参金」で思わずウトウトしてしまった。
ごめんなさい。しかも最前列の真ん中で。
恥ずかしいったらありゃしないです。


最初、上方落語の違いや真打制度についてレクチャー。
東京の落語は早々に座敷に上がらせてもらえるようになったが、
上方の落語はずっと大道芸扱いされて蔑まれていたということ。
上方も真打制度を取り入れるかという話が出たものの
誰がどうそれを審査するのか悩ましく、
それ以上に上方落語協会副会長でもある笑福亭鶴瓶師匠が
自分はこのままずっと二つ目でいいと宣言したので
誰が他に差し置いてとなってしまったこと。
その鶴瓶師匠も東京では余り知られてないが、
時間があれば大阪の天満に10年前にできた寄席「繁昌亭」で高座に出ている、
それが鶴瓶師匠にとっての上の世代から受けた恩を下の世代に送るということであって、
マンツーマンで教わることの多い落語の世界では
師匠と弟子の関係性はそのような恩送りを大切にしているののだということ。


もうひとつ。呼吸と間の関係について。
人間は笑うとき、息を吸うのではなく吐いている。
(吸いながら笑っているのは明石家さんまだけ)
これはどういうことかというと
人間は緊張するときに息を詰め、弛緩するときに吐いているということ。
落語はオチに向かうときに、聞き手に問いかけたり考えさせる。
その瞬間、緊張する。どういうことだろう? と。
それがオチで解放されて笑いとなる。
その一瞬の隙間、「間」が大事なのだということ。
こんな小話が例として挙げられた。
「おばちゃんがなんでかしらんが池の鯉めがけてせっせと10円玉を投げていた」
「池のほとりに看板があって、こう書いてあった」←ここで考えさせる
「鯉のエサ10円」
(もちろん春團治師匠はもっとうまく、話してましたよ)