さよなら、ブルーハーツ

オフィスの引越しに伴い机の引き出しを整理していたら
ブルーハーツの『ドブネズミの詩』が出てきた。
青い表紙の角川文庫版。
単行本も持っている。


中学生のときに出会って以来「人生のバイブル」のように思ってきたが、
40過ぎるとさすがにそんなこともない。
ビートルズもそうだけど、10代前半に聴きすぎて以後聞くことはなくなった。
レベッカバービーボーイズレピッシュも聞くのに
ブルーハーツだけは聞けない。


音楽性が稚拙だ、演奏が下手だ、ということではない。
今思い出しても「リンダリンダ」や「キスしてほしい」は名曲だ。
だけど、余りにも直接的なメッセージが青臭い少年少女向きで、
大人になるとそんな割り切れないことばかりになって
嘘ではないけど遠ざけたくもなる。
僕なんかが言うまでもなく、そういうこと。


ハイロウズはもっと聞けない。
ここに安住してたらいけないよな、という気持ちと
BGM として聞き流すわけにも行かないよな、という気持ちと。
大人はややこしい。


ブルーハーツの悲劇はその後宗教団体にはまり込んだメンバーがいることか。
単純には再結成できなくなった。
その辺のややこしさもまた、やりきれない気持ちにさせる。
いや、この件に関係なく今はハイロウズがあるのだから
ヒロトマーシーも再結成はないか。
ヨルタモリ』にゲスト出演したときに
リンダリンダ」をアコースティックなセッションでやったけど
ヒロトブルースハープを吹くだけで、自らは歌おうとしなかった。
(それでも司会の一人、宮沢りえは泣いた)
ブルーハーツ自身が、ブルーハーツに距離を置いている。


中学生のときに一度だけコンサートを見に行った。
青森市文化会館。友だちと二人で。
チェルノブイリ」は「六ヶ所村」に書き換えて歌われた。
帰り道、興奮しながら長い距離を歩いた。
アルバム『TRAIN-TRAIN』は素晴らしかった。
「メリーゴーランド」も「ミサイル」も「青空」もよかった。
その後の「情熱の薔薇」がよくわからなかった。
当時は知らなかったけど、レコード会社を変わっていた。
アルバムはほとんど聞かなかった。
それが最後、洋楽だけを聞くようになった。
そこが最初の、僕にとってのさよならブルーハーツだった。


今の若い人たちにとってブルーハーツはどう見えているのだろう?
カラオケで上の世代が熱唱することで覚えているレジェンドみたいなものか。
ロックの歴史を遡っていくうちに
1枚目や2枚目のアルバムを聞いて胸震わせる若者が
都会や田舎の片隅に存在すると嬉しい。
だけどなんかのリバイバルでパッとまた人気になって大勢が聞く、
みたいなことになるとそれはちょっと違うと思う。
僕もまた心のどこかにブルーハーツを引きずっている。