差異と反復

差異と反復。


時々、A4かA3サイズぐらいのポスターが10枚20枚と同じものが連なっているのに
駅の構内や地下道で出会うことがある。
それは多くの場合、役者やミュージシャンやスポーツ選手の顔であることが多い。
(細々したデザインのものでそれをやってもごちゃごちゃするだけで意味がない)


大きなポスターが作れないのか、安易だな、と思いつつインパクトがある。
待ち合わせの場所にそれがあるとなんとなく見てしまう。
同じ写真が横に20枚並んでいるはずなのに
それが少しずつ違うもののように思える。
こっちの方はわずかに髪が風に煽られている。
あっちの方はわずかに口角が上がって笑っている。
そっちの方はわずかに視線が右に寄っている。


ささやかな光の加減がそうさせるのかもしれない。
いや、それ以前に人は反復するものの中に
差異を見つけ出したい生き物なのだと思う。
逆に言うと、単純に全く同じものが並んでいるよりも
違うものが並んでいる中で共通点を見つけ出す方が好きだ。
どちらであっても、それらをつないで
特別な意味やストーリーの断片を見出したい。


その性質を活かして、
全く同じようでいてよく見ると少しずつ違っていて
左から右に見ていくと実はパラパラ漫画になっているとか
そういう広告があってもいいよなー、と思う。
さらに言うとそれがアトランダムに縦横10x10のマス目に並んでいるとか。
一人の女優が全然違う表情で、というのはよくあるけど。


人間の頭の中で起こっていることがそもそもそうなのだと思う。
ある人や風景を思い浮かべる時のイメージがあって
それはいつも切り取ったものとしては同じなんだけど、
どこかウツロイが潜んでいるというような。


映画というものは映像が切れ目なくつながっているようでいて
実は1秒間に24コマの不連続な写真を並べているだけだった、というような。
人はそこに反復の中の差異を見ている。