パンクについて考える

「パンク」について考える。
演奏能力の高さに頼らず勢いで押す、単純なロックミュージックのこととすればよいのか。
それとも安全ピンやわざと破れたジーパンといったファッションと分かちがたいものと考え、
むしろそういったファッション性の表れと捉えるべきか。
あるいは「落ちこんでいる人を元気にさせる」から「腐った政府を糾弾する」まで
メッセージ性を中心に据えるべきか。
この3つが深く絡み合ったものなのか。


例えば、オールドスクールなパンクの現代的な継承者として
Hi-STANDARD の名前が上げられるが、
彼らが登場したときにはTシャツに短パンという格好がパンクらしくないと言われた。
しかしその「自由」な感じや「自分らしさ」が今ではパンクらしいとされている。
必ずしも「反抗」や、もっと進んで「敵対」がそのメインテーマではなくなっている。


だから「あなたに会いたくて」と歌うモンゴル800はパンクなのか、
という問いはもはや語られなくなった。
パンクの系譜において
チェルノブイリには行きたくねえ」と叫んでいたブルーハーツを間に挟むから
「青春・友情パンク」や「歌謡パンク」といった形容詞が頭に付きつつも
それはやはりパンクなのだ、とも言える。


一見わかりやすいイメージを持っているはずなのに
考えれば考えるほどよくわからなくなってくる


もっと気になるのは、「パンク」に対する「ポストパンク」とは何を指すのか?
どの辺りがそうなのか?
文字通り捉えるならば、「パンク以後」
そこは地続きなのか、断絶があるのか。
確かに、Sex Pistols に対する Public image LTD はポストパンクだ。
同じジョン・ライドンがヴォーカルとなり、
「これがポストパンクのニューウェーヴだ」という音を意匠づけた。
より尖った、より実験的な音。
単なるわがままではなく、ある意味、大人の攻撃性を身につけた音。


しかし、Hi-STANDARDモンゴル800はどうなのか。
従来のパンクへのリスペクトを示す彼らは21世紀の今も単なるパンクのままなのか。
それともポストパンクとも別の何かなのか。
青春パンクはポストパンクなのか。
ふと冷静になるとジャンルなんてどうでもいいんだけど、
気がつくとそういう些細なことに拘泥している。
パンクはある種の古典芸能となり、
学問的な分類化を求められているように感じるというか。


一方でプレパンクは
先日リンクを貼った Roxy Music「Re-Make / Re-Model」のヘタなアンサンブルの自己主張や
Dr.Feelgood『Down by the Jetty』といったパブロックか。
世界一ヘタと称された姉妹バンド The Shaggs なんかもそうか。