団地の中と外

半年前に練馬に引っ越してきた。
今住んでいるところは駅を取り囲むようにして、
巨大な団地の群れが理路整然と並んでいる。
大きいのだと高さは10何階とあって幅も何百メートルにも及ぶような。


そのうちのいくつかは、防犯上の理由だろうけど、
夜は道路に面した通路の照明器具がまぶしいぐらいに白く光っている。
1m置きにひとつなのか、もっとか。怖いぐらいに真っ白だ。
それが聳え立っている。
城壁が都市になっているのを思い浮かべる。中心に城を持たない、不在の都市。
あるいは崖をくりぬいて作られた古くからの町であるとか。


この中にどれぐらいの人が住んでいるのだろう。
500人なのか、1,000人なのか。
さらにそれが少なくとも10棟以上は。番号を付けられて。


それが妻にとっては圧迫感に感じられるのかもしれない。
団地は密集しているとは言えるが、ギチギチに固まっているのではなく
多少は隙間が空いていて緑が顔を覗かせている。
というか大小様々合わせて公園の数はかなり多い。
それでも、というかそれだからこそ、圧迫感を感じる。人工的すぎて。


そのひとつひとつでどんな家庭生活が送られているのか、
これだけの規模だと想像がつかなくなってくる。
先ほどの城塞のような団地だときれいな通路側しか見えないので
個性を感じさせるものが一切現れない。
(たぶん、ここには何も置いてはいけないとお達しがある)
窓側だと布団が干してあったりカーテンが半開きだったりで
そこからいろいろと想像をたぐりよせるものだけど。


昨日夜遅くに帰ってきて通りがかる。
その隣は細長いタワーマンションとなっている。20階以上はある。
23時前だというのにその多くで灯りが消えている。
2・3階まとまって真っ暗というところもあった。
妻は言う。
「お年寄りばかりが住んでいて、
 この町もあるときパタッと人がいなくなるかもしれない」


そうか、そうかもしれない。高齢化、老朽化。
多摩ニュータウンのように。
駅の周りは商店街がなく、チェーン店の飲食店ばかり。
駅ビルに入っているのはイオン。
必ずしも高齢者向きではないが、若手ががんばっている町でもない。
駅を出てすぐ目につくことではあったけど、
住んでみないとこういうことはなかなか実感しない。
それがどういうことなのか、どういうことになるのか、
住む前はわざわざ思いを巡らせることがない。


彼らも一生住むわけではなくて
子供が大きくなったとか養護施設に入るとかライフステージの変化に応じて
細胞が入れ替わるように後にしていくものなんだろうけど。
それでも若返っていくということはない。


駅ビルの中に小さくてもタワレコがあったのが魅力だったけど
あんまり客が入っていない。
この間棚の入れ替えがあって、洋楽がそれまで3棚あったのが1棚に減って
その分アイドルやアジア系が増えた。
すぐ売れるものしか置かなくなったというのは怖い。
洋楽も細く長く売れる名盤よりも今話題の最新作ばかり。
コンビニと大きく変わらない。
もう少ししたらこのタワレコも閉店してしまうのかもな。
こんなふうにして町は何もなくなっていく。


そんな町を選んでしまった自分。
高層団地に取り囲まれる生活は牢獄なのか。
何年も何十年も続く。会社と駅を往復する毎日。
時々、そんなことを思う。