立川志らく独演会

3連休初日。
いつもなら公園を走るはずが、風邪で断念。無念。
朝7時半に起きて燃えるゴミを持って生き、粗大ゴミを外に出す。
咳が止まらない。痰が切れて吐き出すが毒々しい色をしていた。
寝てるのが一番いいだろうと、
眠れないままぼんやりと9時半まで二度寝


リンゴを剥いてもらって食べる。
昨晩の送別会でお客さんからもらったプレゼントのお酒を
酔っぱらって電車の中に忘れてきた。
網棚の上に乗せてしばらく立ってて、席が空いたときに座ってそれっきり。
終点で下りて改札を出たところでアッと気づいて引き返すが、
既に車庫に戻った後だった。
駅員に事情を説明すると、
見つけたら保管しておくので明日の朝電話してくださいと。
それで電話してみるとあるという。
こういう紙袋で、中身は箱に入った二本の日本酒の瓶で…
自転車でクリーニング屋に行った後にすぐ取りに行く。
明日だと春日の忘れ物センターに配送されてしまうという。


クリーニング屋にはスーツの上下を持っていく。
昨晩の雨が台風のような横殴りでずぶぬれになった。
一番ピークの時に駅を出たようだ。
これが買ったばかりのスーツだったのでゾンザイにするわけに行かなくて。
勧められるがまま一段高い仕上がりにする。
駅で無事プレゼントを取り戻し、家に戻る。


洗濯物を干して、外出。
最高気温20℃。セーターとダウンジャケットでは暑かったので
もっと薄手に着替える。風邪でも暑いものは暑い。
咳止めの薬を飲んでマスクをする。
有楽町のよみうりホールにて立川志らくの落語会。
練馬から池袋線に乗り換え、池袋からは丸の内線。
銀座駅に出ると年末ジャンボの発売が今日までということで
例のあの一番窓口はどこが最後尾かわからないぐらいの行列。
それでなくても数寄屋橋の交差点や有楽町駅前の混雑はすごかった。
13時前、食事のできる店はどこも一杯。
交通センター地下の割と行列の少ない中華の店で食べた。
担々麺と一口麻婆丼


よみうりホールへ。
ビックカメラがさらに大混雑。
エレベーターも行列で10分待ちだという。
エスカレーターにするが、それも人が途切れない。
なんとか開演前に間に合った。


前座は立川がじら。12月頭に二つ目に昇進したばかりだという。
同じ時期に昇進したということでドナルド・トランプと同期だと言っていた。
やったのは「時そば」で立川流らしく時事ネタが多かった。


立川志らく。生で聞くのは初めて。
折り込みチラシを見ると劇団の脚本や演出を手掛けていたり、
シネマ落語だけではなく映画を監督したこともあるのでほんと多彩な人ですね。
同志の立川談春に始まって、林家三平春風亭昇太笑点いじり、
先輩の立川志の輔と愛のある悪口をマクラにして笑いを取る。
林家三平はつまらない、下手だ、と言い切ったときの客席の拍手は大きかった。
 一番笑ったのは、水戸黄門の八兵衛役だった時にゲスト出演した国分佐智子と知り合い、
 独演会に誘う。そのときに落語家ってなんてすごいのだろうと感激して結婚したと。
 だから根岸の家では他の落語家の独演会に行くことは禁じられているのだと)


この日は「芝浜」とその後日譚として「親子酒」、前日譚として「天狗裁き」。
師匠立川談志がこのよみうりホールで毎年同じ日に「芝浜」をやっていて、
晩年のは神がかっていたと。
急死して代わりに志らくがやることになった。
以来、同じ日に同じ場所で「芝浜」を続けている。
蓮舫のこととか時事ネタ、身内ネタを入れまくった「親子酒」も笑ったけど、
やっぱ「芝浜」
話は有名で、飲んだくれの魚屋が海で42両という大金の入った財布を拾って帰ってくる。
これでもう働かなくていいと酒を飲んで寝る。起きて女房曰く、夢でも見たんでしょと。
現にそんな財布は存在しない。心を入れ替えて働いて、三年後…
こんな泣ける話だったのか。
三年後の真相を明かし、腹の底から互いをぶつけ合う夫婦。その真に迫る姿。
思わずうっすらと涙ぐんでしまった。


シネマ落語も聞いてみたい、と思いながら会場を後にする。