腕時計というもの

妻から誕生日のプレゼントをもらう。
サプライズなものではなくて、
前からジョギング用の腕時計が欲しいと言っていたので
金曜の夜、新宿西口のヨドバシカメラに買いに行った。


走った距離とそれに対する時間が計測できて、
心拍数が計れるといいかなと思っていた。
毎月の経過観察でマラソンの話をしたとき、
心拍数が120台を超えないように計った方がいいと言われていた。
EPSONSONY などあれこれショーケースに飾られていた中で
「FTTBIT」というメーカーのがデザインがスッキリしていて、多機能、
それでいて安かった。これにする。


そんで今日開けてみた。
説明書の類は入ってなくて、ここにアクセスせよと URL があるだけ。
付属品はUSBケーブル。反対端で腕時計を挟み込んで充電する。
ノートPCに差した。
URL にアクセスするとまずはスマホにアプリを入れろという。
ユーザー登録して Bluetooth でリンクして、スマホを操作して設定する。
本体にはボタンがひとつあるだけ。
なるほど、これが「ウェラブル端末」「スマートウォッチ」というやつか。


走るときだけ手首に巻くつもりだったのが、
一日中自動で心拍数や歩数や階段の上り下りを計測するという。
しばらくつけて生活してみることにした。
あるとき IBM で働いている方と食事していたら同じようなのを身につけていて、
全社員が支給されて健康管理に利用していると。
でも会社に四六時中監視されているみたいで心よいものではないと語っていた。


小さい頃、腕時計にとても憧れた。
法事で東京に出た時に遊園地に行って、
おもちゃの時計を買ってもらったのが最初か。
しばらくの間動いていたけど、すぐ壊れてしまった。
ちゃんとしたのを買ってもらったのは小学校高学年の頃か。
周りも皆買い始めていた。
最初のは CASIO のデジタルだったか。
雪遊び用の手袋であれ、ビデオデッキであれ多機能こそがかっこよかった。
温度が分かるとか、逆転再生できるとか。
腕時計もそうだった。ストップウォッチとアラームは当たり前。
他に何ができるか。それこそ、簡単なものだけどゲームができるとか。
あるいは防水はどこまでか、など。
松本零士デザインで文字盤などなし、音声で時刻を知らせる時計なんてのもあった。
小学生が身につけるには実用的ではなかった。


中学1年か2年の時に別のデジタル時計にして
高校にて入学する頃、合格祝いに SEIKO のアナログ時計を母が買ってくれた。
これを大学の間ずっとつけていた。バンドが壊れると買い替えてかなり長く使った。
社会人になってもしばらくは身につけていたかもしれない。


要らなくなったのはやはり携帯電話を持ち出してから。
1990年代後半、PHSの頃はそれでも腕時計をしていたと思う。
時計の機能はあったけど、当時はまだ持ち運べる電話機という感覚だった。
ドコモの携帯に替えて iモードに出会ったとき、
これ一台あればあとは財布さえあればいいんだなと捉えるようになって
腕時計を捨てた。ものすごく身軽になったのを覚えている。
もう一生腕時計をすることはないだろうと思った。
apple watch が出た時にも買わなくていいかと。


それが20年ぶりにまた腕時計に戻ってきた。
しかもかなり進化して。
携帯電話もそのうち腕時計型になって、全てが取り込まれて行くんじゃないか。
ヘッドホンを差すことなく音楽が聴けたり、通話ができるようになって。
もっともっと薄く、軽くなって。
本体は腕時計、小型のモニターとキーボードは外出しで利用可能とかそういうの。
それでテレビや動画が見れたり、ゲームができたり、会話ができたり。
僕らが子どもの頃に夢見た未来ってそういうのだったよな、ということを思い出す。
ああ、これがそうだったんだなと思いながら
小さなスクリーンに映し出される時刻を眺める。