「鬼のはなし」

昨晩は塚田さんの「温室」にて、節分が近いということもあって
狂言師の奥津健太郎さんによる「鬼のはなし」
http://onshitsu.com/2017/01/09-072006.php


鬼というと「泣いた赤鬼」であったり、
難破して流れ着いた西洋人を見て
体格の差や皮膚の色から恐れをなして鬼と捉えたんじゃないかとか
その前にはマレビト信仰があったりといろいろなことを思い出しますが。


この日は狂言入門という位置づけもあって
初春ということで元日の「春の謡」の節を教わって皆で歌ったり、
扇子を用いてお酒を注ぎ、飲んだ後で笑うというのを見よう見まねで皆でやってみたり
と盛りだくさんの内容だった。
その中で印象に残った話がふたつ。


平安時代の鬼はまだ貴族社会ということもあって
源氏物語の夕顔のエピソードにも表れているように
姿の見えないこの世ならざるものだった。
あったとしても百鬼夜行のようなただただ恐ろしく触れられないもの。
それが鎌倉時代以後武家社会となって
鬼は具体的な形を持ち、退治・征伐するものとなった。
酒呑童子とかまさにそうですよね。


能や狂言での鬼やおかめ、狐や猿の面の披露がなされたときに
木で作られ呼吸しているからか面は生きているものであって
これはすばらしい面だと博物館に購入されてガラスのケースに入ってしまうと
途端に命を失って壊れていく。
面に限らず、物はなんであれ
人間の手に触れて日々使われていかないとだめになっていく。


普段面とは限られた人が丁重に扱うものなんだけど
この日は奥津さん自身の持ち物だということで皆に触らせてくれた。
案外軽い。それでいてしっかりとした感触がある。
能での鬼の面は目じりも口の端も上がって怖さが先に立つものだが、
一方で狂言だとどちらも下がって笑っているようで、
この日持ってきていただいたものはむしろ福の神というか
笑ゥせぇるすまん』の喪黒福造のようであった。


しかしよくできているもので
角度をつけると表情が変わるようになっている。
顎を引いて額を見せるようにすると険しくなり、
逆に顎を突き出すと赤子が泣いているようになる。


怖いのは鬼よりも
鬼になりきれていない虚ろな目をした翁の面だった。