「立春に PUNK を聴く」補講その2

続きです。今日はまず、New York Dolls から。
西の Sex Pistols 東の New York Dolls ということで
1970年代の初めに結成され、革命前夜の1976年に解散。
活動期間は短かったですが、ニューヨークとロンドン、双方のパンクに多大な影響を与えました。
女装してグラマラスな匂いを振りまきながら、粗削りなロックを演奏する。
Sex Pistols の仕掛け人だったマルコム・マクラーレン
元々 New York Dolls のマネージャーであって、
これは金になるとロンドンに戻ってメンバーを集めたのが Sex Pistols だったわけです。


そのギターがジョニー・サンダース
New York Dolls がアルバム2枚で空中分解したのちに Heartbreakers を結成。
パンクの嵐吹き荒れるイギリスに渡って人気を得るもののアルバム一枚でポシャってソロへ。
音楽活動を続けるが、1991年に38歳の若さでオーヴァードーズにより死亡。


ヘラヘラして見るからに人としてダメなやつ。
ロックの神様はなぜかそういうやつに無二の才能を与えてしまう。
歌もギターもたいしてうまくないのに、なんでこんなにもキラキラと輝いているのか。
楽しくもなく悲しくもなく、そこにはルーズでシンプルなロックの原石があるだけ。
少年時代はメジャーリーガーになることを目指して野球に明け暮れたという。
なんかそれもわかるような。


アルバム『L.A.M.F』(Like A Mother Fucker)より。


Johnny Thunders & the Heartbreakers: Chinese Rocks
https://www.youtube.com/watch?v=2xiWjpjRl1Q


Heartbreakers 始動直後のベースが、元 Television のリチャード・ヘル
ここもすぐに辞めて自らのバンド Voidoids を結成する。
代表曲のタイトル「Blank Generation」がNYパンクのど真ん中を射抜いた言葉となる。


Richard Hell and the Voidoids: Blank Generation
https://www.youtube.com/watch?v=TP3x-VdOb44


New York Dolls に限らず、全ロックファン必聴のドキュメンタリー映画
『ニューヨーク・ドール』(2006年)
メンバーの中で最も地味だったベーシストのアーサー・“キラー”・ケインが主人公。
解散後音楽では成功せず、結婚生活も破綻、アル中へ。
モルモン教に入信することで魂の平穏を見出し、今は図書館で働いている。
その彼に New York Dolls 再結成の話が舞い込んできて…
最後に流れるのが、The Smiths 「Please Please」


The Smiths Please, Please, Please, Let Me Get What I Want 1984
https://www.youtube.com/watch?v=Pr62GT7P9QM


そのスジでは有名な話ですが、元The Smithsモリッシーって若い頃
New York Dolls の私設ファンクラブをイギリスに作って
その代表を務めていたんですよね。
New York Dolls がそのスキャンダラスなステージで見せた奇妙な振る舞い、
その下に潜んでいた孤独を誰よりも真剣に受け継いでいたのは実はモリッシーだった。
Sex Pistols はその表層だけをうまく借りて
よりセンセーショナルな存在となって話題性という意味では破格の成功を手にした。


New York Dolls は昔のファン以外今日あまり再評価されていませんが、
パンクの教科書を書くならば1章を捧げるべき重要なバンドです。

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CD1枚、80分以内に収めようとするとなかなか時間が限られてくるもので
今回もまたあれこれ泣く泣くカット。
イギリスとアメリカに焦点を絞ることになりました。
有名なところだと Nick Cave がヴォーカルだった
メルボルン出身の Birthday Party であるとか。
ポスト・パンクというとベルリンの Einsturzende Nyebauten もはずせません。
正直僕は詳しくはないのですが、韓国や台湾にも多くの若者に支持された
アンダーグラウンドなロックバンドは存在したんじゃないかと思います。


日本もまた、ざっくり大鉈をふるって今回の対象外へ…
古くはロンドンやニューヨークのパンクに影響を受けた第一世代というべき
リザードフリクション、ザ・スターリンじゃがたら
80年代後半のラフィン・ノーズ原爆オナニーズ、S.O.B、そしてザ・ブルーハーツ
90年代に入ってメロコアやエモなどと分派しつつ
Hi-STANDARDBRAHMANeastern youthbloodthirsty butchersBeyonds
00年代のモンゴル800GOING STEADYELLEGARDENマキシマム・ザ・ホルモン
有名なところを挙げてみましたが、いや、ほんと数え切れません。
僕個人としても思い入れのあるものが多いです。


もうがまんできない|JAGATARA
https://www.youtube.com/watch?v=NmDN_6-l73A


じゃがたらは音だけ聞くとアフロ・ファンクですが、
パンクの定義を
「この世界は、現実は、どうしてこうなんだ!?」
という鬱屈した気持ちが原動力になる音楽と捉えるならば
何よりもその疑問と向き合ったバンドでした。
ヴォーカルの江戸アケミは生真面目すぎたがゆえに心を病むことになり、
36歳にして亡くなります。
初期のステージでは流血が当たり前だったとか、
鶏の頭を食いちぎったといった伝説が残されていますが、
これは彼の絶望的なまでの苛立ちゆえの奇行だったのでしょう。
残されたメンバーのうち、OTO は若手バンドのプロデューサーを多く手がけ、
南流石はダンサー、振付師として今でも時々テレビで見かけます。


和のテイストをもったパンクバンドというと
三味線や鼓でやればいいわけではなくて
例えば eastern youth のように
酒よりも縁側のお茶が似合う渋み・苦味の滲み出た感じでしょうか。


なお、ヴォーカルの吉野寿は昔すぐ近くに住んでいたはずで
散歩が趣味とされるのに一度も遭遇せず。残念。


eastern youth - 青すぎる空
https://www.youtube.com/watch?v=W-_nHvk2TrQ


GOING STEADY を知ったときには既に解散してました。
その後の銀杏BOYZとか、ヴォーカルの峯田和伸ってどうなんでしょうね。
今、好きというと怪訝な顔をされるのだろうか。
こんなにまっすぐで、よどんだ目をしてるのにどこかキラキラしたバカ、
他に見たことがない。


曲としては「童貞ソー・ヤング」が有名だけど
銀河鉄道の夜』への憧れを何の臆面もなくさらけ出した
次のシングルの「若者たち / 夜王子と月の姫」もなかなかいい。
このナイーヴさもまたパンクの魅力なのだろうと。


夜王子と月の姫
https://www.youtube.com/watch?v=8rllCgHznfY


なお、バンド名の由来はUKパンクで最初に恋愛の歌をシングルにしたとされる
Buzzcocks のアルバム『Singles Going Steady』から。