試作

単調な音楽が天井のスピーカーから流れ始めた。
12時。昼の休憩になった。
第1コンソールの再生を一時停止。第2コンソールのライブラリも検索結果を初期化。
第3コンソールでコーディングしていたインデックスも仮保存していったん落とす。
どれかがかすかに振動して立てていた音が消えた。空調も切れた。
ひざ掛けを椅子の上に畳んで、ブースを出て鍵をかけた。
廊下を歩く。同じように出てきたオペレーターが行き交う。
私は誰とも目を合わせないように視線を落とし、俯いて歩く。
そんなことをしなくたって誰かが話しかけてくるということはないのに。
突き当たりの部屋には机と椅子が並んでいて、既に昼食が進んで話が盛り上がっているグループがいくつか。
休憩になる前に少し早く出てきたのだろう。
それぐらいのことでは誰も咎め立てたりはしない。しかし私にはできない。


階段を下りていく。
掲示板を見る。新しいチラシが貼られている。
来週末、隣の塔のエントランスホールでピアノとギターによるミニコンサートが行われるという。
無料。ただし、席に限りがあるため早めに行ったほうがいい。
離れたところにもうひとつ、生産性向上のための勉強会開催のお知らせ。
講師の名前を見て、試しに昨年出てみたものをもう一度繰り返しているのだなとわかる。
過像を言葉の群れで捉え直すと
文法と語彙、そして規範からのずれの度合い(そこでは方言と呼ばれていた)に左右され、
そこから生まれる解釈の多様性と優先順位決めによる選択に思いのほか時間を要している。
それをやめて過像はイメージ・ストリーミングとしてあるがままに受け入れるのがいいのだと
講師の方は語っていた。
議論になった。我々が付与しているインデックスというものがそもそも言語的なものではないか。
文字や声に出された言葉よりも大きな範疇での言語。
ここでいうイメージというものもその範疇に含まれるのではないか。
難しくてどうでもいいことで、
それこそ解釈の違いで対立が生まれて言い争いになるのを見るのはつらかった。
全四回分の参加費は払っていたが、二回目からは出なかった。
しかしひとつだけ言うと、調子のいいときには確かに私も再生した映像をそのままイメージとして捉えていた。
それができないとき、取り繕うようにして言葉でできの悪い複製をつくっている。


首からぶら下げていた入出館カードをかざして外に出た。
今日は昨日よりも暖かくコートは要らなかったが、空は曇っている。
少し先の公園へ。昼を食べるために入ってすぐの行列に並んだ。
いつもより少なく、二十人ほどだったからそれほど待たなかった。
ミックスサンドイッチとホットコーヒーを買って空いているベンチを探した。
もう少しすればここも落ち葉でいっぱいになるか。
五分ほど歩いて公園を池の周りに沿って半周したところで、反対端の空いているベンチを見つけた。
杖にもたれかかって身動きひとつしない老人が座っていた。
「あの、ここ、いいですか? ……失礼します」
老人はこちらをちらりと見ることもなかった。
もしかしたら今日私が話す言葉は、これが最初で最後になるかもしれない。
言葉を発することができただけでもよかったのかもれない。
サンドイッチの包みを破る。
子供たちがボールで遊んでいる。その奥で母親たちが立って何かを話している。
それが聞こえた。いや、何も聞こえなかった。
そのうちの一人の身振り手振りが激しい。それだけを見ると怒っているようなのに顔は笑っている。


食べ終えていつものように池をゆっくり一周歩いてから塔に戻った。
カードをかざす。階段の下のゴミ箱にサンドイッチの包みとコーヒーのカップを捨てた。
ゴミがあふれ出しそうになっていたので、そっと乗せた。
片付けるのは真夜中、私たちオペレーターが皆いなくなってからだ。
いくら掃除婦ないしは掃除夫を人前に出してはいけないとはいえ、何か手段はあるのではないか。
階段を上って通路を歩いて、ドアを開けて中に入る。
コンソールをひとつずつ立ち上げていく。
準備ができて、水筒に入れてきた水を一口だけ飲んだ。
過像の一時停止を解除した。
雪の中を手袋とマフラーをした、そして黒い柔らかそうなコートに
同じ色の大きな帽子のようなものをかぶった女の子が遊んでいる。
赤いボールのようなものを追いかけている。
今日の私は調子が悪いからこれらを全て言葉で捉え直している。