あれから6年(遠藤ミチロウ、大友良英、SOUL FLOWER UNION)

2011年3月11日から6年。
何人かのミュージシャンを思い出します。


遠藤ミチロウ。1980年にザ・スターリンを結成。
ギター、ベース、ドラムの3ピースで速い、暗い、重い、攻撃的な音を叩き付ける。
ステージでは豚の臓物を投げつける、客は椅子を投げ返す、喧嘩になる。
ヴォーカルのミチロウは全裸になって歌って逮捕され留置場へ。
日本のパンクを代表するバンドのひとつと言っていいでしょう。
レコ倫に40カ所を指摘され歌詞を変えて録り直したという1982年の『STOP JAP』と
丸尾末広がジャケットを描いた1983年の『虫』
(のちに遠藤ミチロウは「パラノイア・スター」というバンドも結成している)をピークとし、解散。
ソロになって1984年の『ベトナム伝説』では「仰げば尊し」をパンクとしてカヴァーし、
「お母さん、いい加減あなたの顔は忘れてしまいました」が物議を醸しました。
その後スターリンを再結成しますが、ビデオだけのリリースを続けたり、
曲にかつてのインパクトがなかったりで迷走。
いつのまにかアコギ片手に一人で歌うことが多くなっていました。
今も毎年100カ所以上のライブハウスを回って演奏しています。


Sex Postols のジョン・ライドンに匹敵するキャラクターを
日本で誰か一人挙げるならばこの人だと僕は思います。
ジョン・ライドン同様、実は市井の隠れた知性派なところも似ている。
そもそもザ・スターリンを結成した時点で30歳だったんですね。
若い頃は全国を旅してヒッピーのコミューンで暮らしてみたり、東南アジアを旅してみたり。
スキャンダラスな言動は若さゆえの初期衝動では決してなく、計算してのものでした。
ソロになってからは社会への疑問、自分自身への(裏返して他者への)疑問、
そこから生まれる言葉そのものへの疑問をより一層明確に歌うようになりましたが、
それはザ・スターリンの最初のソノシートの曲が「電動こけし」「肉」だった頃から実は変わっていません。


大伴良英。1980年代後半、ザ・スターリンの没落と入れ替わるように行動開始。
最初はジャズ・ギタリストになりたくて高柳昌行に弟子入りしていたもののやがて独自の道を歩む。
ターンテーブルと出会い、CMから中国の古い歌謡曲までをサンプリング、
早いうちから香港や台湾でも活動して、作品を発表。
凄腕ミュージシャンを集めて Ground Zero を結成、
爆音でフリーな演奏を繰り広げる一方で『青い凧』といった中国映画、後に日本映画のサントラを手掛ける。
90年代に Ground Zero を解散した後は大友良英 New Jazz Quintet を結成、
様々なジャンルでの客演やプロデュースなどと忙しく活動を続けました。


音楽的に一見接点がない二人ですが、大きな共通点がありました。
それはどちらも福島出身だということ(県立福島高校の先輩後輩の関係に当たる)。
その前年一緒に演奏する機会があったことから
2011年の東日本大震災後いてもたってもいられなくなって遠藤ミチロウ大友良英に電話、
そこから「プロジェクトFUKUSHIMA!」の立ち上げと8月15日のフェスティバルの開催へ。
そのとき風呂敷を皆でつないで大きなものにして敷き詰めたのがシンボルとなり、DOMMUNE とも連携、
フェスが「盆踊り」と称するようになったりしつつも今も様々な活動を福島を中心に続けています。
(立ち上げの頃については『クロニクルFUKUSHIMA』という本にまとまっています)


翌年大友良英は『あまちゃん』の音楽を手掛け、一躍その名が全国区となりました。
遠藤ミチロウはその後毎月のように福島のライブハウスに立ち、
2015年には『FUKUSHIMA』というアルバムも発表しました。


もう一組思い出すのは SOUL FLOWER UNION です。
前身の Newest Model の頃から社会に物申す的な硬派なメッセージ性の強いバンドでしたが、
彼らが他のバンドと違うのは実際に行動に出ることでした。
しかしそれはデモに参加するといったようなものではなく、
避難所や仮設住宅など震災の被災者がいるところに何度も何度も出向いて演奏し歌うというものでした。
電気がないところも多かったため三線、チンドン太鼓、アコーディオンといった編成となり、
戦後の流行歌や沖縄、アイヌ、朝鮮の民謡もレパートリーに加えていく。
それが本当に仮設住宅に住む人たちの聞きたかったものだったかどうかは僕にはわかりませんが、
阪神淡路大震災の後に始まって今に至るまで20年近く続いているのだから
彼らも強い手ごたえを感じているのでしょう。
この活動が彼らの音楽的な体力を相当パワフルなものにしました。
僕もフジロックで見た時に、その唄と演奏と思いの力強さに圧倒されました。
この人たちは信じられる、と思いました。


今から6年前、僕も4時間かけて皇居のお濠から新宿通り、青梅街道と経て、
神保町から荻窪まで歩いて帰りました。
皆さんも覚えていると思いますが、あの日一番の情報源は tewitter でした。
後に無作為なリツイートはデマの拡散の元とされ敬遠されるようになりましたが、
あの日多くの有名・無名の方が、特に、遠く離れた場所にいて当事者ではなく、
だけど自分のことのように心配されていた方々が、
どの電車が動いているとかどこが避難所として開放されたといった役に立ちそうな情報や、
誰が誰を探しているといった伝言をどんどんリツイートしていきました。
その中で一番印象的だったのが SOUL FLOWER UNION 中川敬によるものでした。
とにかくなんとかしなきゃいけない、自分には何もできないという焦りもありつつ、
皆を励まし続ける。
僕はずっと彼のツイートを読みながら歩き続けたのでした。


ザ・スターリン ロマンチスト
https://www.youtube.com/watch?v=r3OMoHX7qzA


遠藤ミチロウ 『浪江』 2015年9月9日 岡山県笠岡市 カフェド萌
https://www.youtube.com/watch?v=LAHjNfuuL4E


SOUL FLOWER UNION 満月の夕(07)
https://www.youtube.com/watch?v=nrKaMAqz-PA