カリカリと給餌器

昨日の猫の話から派生。
自動給餌器や給水器があるといいねという話を妻とする。
タイマーをセットして、時間が来るとカリカリが一定量皿へと落ちてくる。
水が循環していて清潔な水がいつも飲めるなど。


便利なもんだなあと思うが、よくよく考えたら
人類、というかその中でも先進国の暮らしは
自動給餌器・給水器ないしはそのプロセスに囲まれたものじゃないかと。
松屋などのチェーン店で券売機を押して席に着くとやがて牛メシが出てくる。
冷凍食品をスーパーで買って、温めて食べる。
人間と猫の違いはそれを購入するという手間と
自らの意思でそのとき何を食べるか選んでいるというだけで
実は僕らは社会という巨大な給餌・給水システムに囲まれて生きてるんじゃないかと。


いや、目の前の一皿のカリカリだけではなくそれがどこから来たのかを考えてみると
そのほとんどが人間と大差ない。
カリカリも牛メシも一次産業的な材料の生産があって、
二次産業・三次産業的な加工があって、物流や貯蔵があって、
マーケットで購入する対象だというところまで同じ。
目の前の給餌器と背後の給餌システムというわけだ。


それにしてもなんで猫は同じカリカリをずっと食べ続けていられるんだろ?
飽きないのか。飽きていても空腹に勝てないのか。
(我が家では一日に一度猫缶も少し与えているが)
もしかしたら人間にとっても、毎日これだけ食べていればいい、
毎日おいしく食べられる、というものを作ることもできるのかもしれない。
そういう研究ってありそうだけど、どうなんだろう?
NASA宇宙食とか。
食べることに興味がなく、かつ半端なく忙しいという人が
毎日カロリーメイト食べてたけど、そういうのとは別で。


よくありがちな話だけど環境破壊が進んで
新鮮な水、肉、魚、野菜が高価なものになったとき
合成食料としてそういうのを人類は食べるようになるとか。
そんな灰色のものではなく、なんかもっとフラットに
人間用カリカリみたいなものが世の中にあっていいんじゃないかと思う。
時間が来たら一定量供給されるとなると、ちょっと困るけど。
そこが人間と猫の線引きか。