ピアノというもの

家の近くに5階建てぐらいの小さなビルがあって、
1階はピアノを販売、上の階にピアノ教室や発表会のためのホールとなっていた。
それが半年前ぐらいに閉店。
中を工事していたので何が入るのだろう、と期待していたら結局学習塾になってしまった。残念。


ピアノを売る店は近くのもっと小さな雑居ビルの1階に収まった。
前のようにグランドピアノを置くなんて無理、
アップライトを何台かと壁際の棚に楽譜やメンテナンス用品と
たくさんのものをなんとか詰め込んでいる。


夜、早く帰ってくると前を通りがかる。
この店に何人か経験の長そうな店員がいるのは伺えるが、
実際に客が入っているのは一度も見たことがない。
もはやこういったアコースティックなピアノは売れないのだろう。
場所を取るし、音も響く。
脚を折り畳み可能な小さなキーボードの方が現実的だ。
ヘッドホンで聞きながら弾くという。


今ちょっと調べてみたら、ピアノ教室や先生の数は少しずつ減ってきていて、
その分学習塾が増えていると。
僕の家の近くの例はまさにその象徴ですね。
小さいときはピアノを習わせるんだけど、
高学年になると学習塾に通わせるためにやめさせるという。
小さい頃から英才教育を施してコンクールで賞を取る子というのは一握りで、
自分はいったい何のために習わせていたのかと嘆いている発言もいくつか見かけた。
練習したくないというのを月謝がもったいないからと無理にやらせてピアノ嫌いになるとか。


妹も近くのピアノ教室に中学生まで通っていて、
中古のアップライトのピアノがリビングに置かれていたけど、
高校に通ってからは勉強に部活に忙しくなり、弾くことはなくなった。
引越しのときに業者の方たちが運んでいった。
そういうピアノが全国に多いのだろう。


どこかの薄暗い倉庫にはそんなピアノが見渡す限り並んでいて、
一人か二人の調律師がせっせと直していくが全然間に合わず、どんどん増えていく。
古びたものはさらに別の場所に運ばれて解体される。
木片となって焼却炉へ。そんな悲しい風景が思い浮かんだ。


ひとつの家で何十年も弾かれ続けて、祖母から孫へ、大事に受け継がれていった。
そんな幸福なピアノは1000に1つもあるだろうか。


ピアノ屋の中に並んだピアノたちを見ているとなんだか悲しい気持ちになる。
それが最近の毎日。
この世で一番報われない楽器のように思う。