今はなき名店たち その4(神保町篇)

4回目はトータルで8年近く常駐した神保町。
2008年から2016年まで。
普通そんなに長くひとつのPJに居続けることはないのですが、
カレーに古本、DiskUnionと僕の好きなものばかりだったので延長しつけたのでした。
5月にお客さんのオフィスが飯田橋に移転して、
僕もお客さんの親会社のPJに移って今に至るという。


古くからの名店が少しずつ少しずつひっそりと息を引き取るように消えていって
どの街にもあるようなチェーン店が増えていく。寂しいものです。
そういえば小学館のビルも建て替えて、あの頃よく通った地下の店はどこに行ったのか。
洋食で有名な「七條」は神田に移転したみたいですが、
よくちゃんぽんや皿うどんを食べた「居酒屋九州」はあの機会に店を閉めたのか。


「徳萬殿」(神保町/中華)
 一昨年の2015年10月、惜しくも閉店。まんてんと並んで神保町の大食い文化を担った。
 チャーハン大盛りをヘルメットチャーハンと呼んでた人もいたな…
 冷静に考えるとたいして美味しいわけでもないんですけどね。街の中華屋というだけで。
 でもなんかときどき無性に食べたくなって昼にふらっと行っちゃうんだよなあ。
 玉ねぎカレー炒めやレバニラ炒めの定食が好きでした。

 
「かの矢」(神保町/牛カツ)
 まんてんの近くにあった牛カツの店。サクサク、ジュワーッとおいしかったな。
 年配のおじいちゃんがふたりで揚げていて、高齢化で店を閉めたか。
 ロースカツ、ヒレカツ、メンチカツもあったけどほとんどの人は牛カツだった。
 神保町は他に「ニューポート」や「駿河」といったとんかつ屋もあった。
 前者は学生街ならではの雑然とした店だった。


「味噌や」(神保町/ラーメン)
 吉祥寺「どん花」と並んでここも何度も書いてきたと思う。
 都内で一番好きなラーメン屋だった。味噌ラーメンのうまい店ってなかなか出会わない。
 給料が出ると食べに行って、チャーシューメンにコーンやバターをトッピング。
 たくさんのもやしを炒めた正統派の味噌ラーメンだった。
 客足もよかったのになんで店を閉めたのか。かつて働いていた人が中野に店を出しているとのこと。

 
「背脂醤油 のあ 」(神保町/ラーメン)
 靖国通りの雑居通りの2階だったか。大きな看板で目立っていた。
 背油ちゃっちゃ系のラーメンはブームになったのであちこちにあるけど
 ここはちゃっちゃどころかがっつり、潔いぐらいに背油。
 神保町から神田に移転、そののちに閉店。
 以前は「のあ吉」という名前でとんかつ屋だったと聞く。


「いもや 一丁目店」(神保町/天ぷら)
 神保町といえば「いもや」天丼、天ぷら、とんかつとあって学生時代通った人は多いと思う。
 神保町のあちこちにあったけど今は少しずつ減ってしまって。
 靖国通りの店も独立してのれん分けしたのか屋号が変わって、少し奥に引っ込んだ。
 そうすると仕入れも変わるのか海老も小さくなって、一度行ってそれっきり。
 跡地も別な天ぷら屋になってややこしいことになっていたが、ここも今は別の店になっている。