新島の思い出

駅の改札を出ようとしたらラックに『東京の農林水産業 東京の島々』というパンフレットが並んでいた。
るるぶ」が出していて、他にいくつかの地域のがあったように思う。東京西部であるとか。
なんとはなしに手にとってみる。
青ヶ島小笠原諸島はいつか行ってみたいと思っている。


新島のページがあって、懐かしく思う。
父方の祖母の家系は元々新島の出身だった。
祖母は島を出たが、一族では島に残った人の方が多かった。
僕の小さいときには毎年夏になるとくさやを送ってくれたり。
だから僕は全然抵抗がない。


中一の夏、妹と二人だけで寝台特急に乗って上京して、
祖母に連れられて新島で過ごしたことがある。
竹芝桟橋から深夜便のフェリーに乗った。
周りは大学生か20代の若者たちばかりで、乗り込むと広い船室で雑魚寝した。
翌朝着いて車で迎えに来てもらう。
遠い親戚の家の建てた離れに祖母と3人で3週間ほど暮らしたろうか。


毎日午後になると海で泳いだ。
祖母は砂浜に敷物を敷いて、日傘を差して僕らを見守っていた。
空は煮詰めたように青く、雲もムチムチしている。
毎日その日差しを浴びて、あれほど健康的だった日々はない。
帰りは小さなセスナ機に乗って調布の飛行場へと向かった。
あれが初めて乗った飛行機だった。


80年代後半。新島がまだ釣りやマリンスポーツだけの素朴な島だった、最後の頃かもしれない。
その後大人になって90年代も終わりの頃か、
屋外でレイヴ系のパーティーが夜な夜な繰り広げられ…、という話を聞いた。
ドラッグも出回って、とか。
噂ではきわどい感じだったが、実態がどうなのかはわからない。
行ってみたいとは思わなかった。
遠い親戚たちはどう思っているのだろう、ということが気になった。
美しい砂浜はどうなっただろう。
他の島で同じようなイベントが開催されているという話を聞いたことはなく、
なぜか新島だけがそうなった。
島の青年部の働きかけがあったのか。


恐らくこの団体が主催しているのだろう、というページを見つける。
もうずっと長いこと毎年開催している。
うまく共存できているならそれでいいと思う。


今のところ新島をもう一度訪れてみたいという気持ちはなく、
行くなら他の静かな島がいい。
帰る頃、お土産屋で椰子の実の繊維でつくられた素朴なモアイ像を買った。
あれは今、どこに行ってしまったか。