ボブ・ディラン『Blonde on Blonde』 Revisited

音楽に関しては基本的に雑食。なんでも聞く。
…と言えたらいいのだが、案外そうでもなく。
客観的にはいいと思うけど、主観的にはピンと来ない音楽というのがたまにある。
傾向はよく分からない。
そこだけスポットとパーツが抜け落ちて感じとれなくなっているような。


国民的なアーティストでもそういうのがある。
例えばミスチル
「Innocent World」に始まり、いい曲を書く、いい歌詞を書く、あの声もいい、
なのに自分から CD を買おうとは思わない。CD を借りて聞こうとも思わない。
心に響かない。
個人の趣味といってしまえばそれまでだけど、
なんでそこまでミスチルに興味が持てないのか、自分でも不思議に思う。


ボブ・ディランもそうだった。
95%の曲が全く同じに聞こえる。
80年代以後の曲だとそれが99%ぐらいになる。
あのダミ声もただダミ声というだけ。


しかし、音楽というものを通じて何を伝えたいか、
そもそも音楽とは何であるか、
その視野の広さと視界の深さ、その元になる洞察力については
現役ミュージシャンの中ではダントツだということは理解できる。
そこに凄みを感じる。
なのにたいして聞く気になれない。


それがふと聞き直してみようと思いたち、
あれこれ試しているうちにようやく、「あ、そういうことか!」と。
それまで、最大の名盤は「Like A Rolling Stone」が収録された
『Highway 61 Revisited』(1965)なのだと捉えていた。
いろんなものを読んだ学衆の結果として。
でもそれって違うんだなと。まとまりすぎ、できすぎ。


その次の『Blonde on Blonde』(1966)の方がはるかに開かれている。
冒頭の「Rainy Day Women #12 & 35」からし
どこに向かってるのかさっぱり分からない。
ファンキーな管楽器の入ったブルースという形式にはなってるけど、それが何? という。
12と35が何なのかも意味不明。たぶん意味なんてない。


でも、「ああそうか、これがやりたかったんだな」というのが胸倉掴むように伝わってくる。
どこかでこの前読んだんだけど、
この『Blonde on Blonde』が最も、頭の中で鳴っている音楽に近かったのだという。


次の曲の「Pleding My Time」もハーモニカの切れ味が鋭く、
理屈抜きでどんどん切り込んでくる。
やはりそこにも意味はない。ただ音楽だけがある。


そんな感じででようやくディランにつながったものの
90年代・00年代のアルバムは相変わらずちっとも良さが分からず。
ここからさらに10年以上かかるんだろうな。時々思い出して。
そのとき僕は50を超えている。
そこまでしないと分からない音楽がある。
可能性はディランの方から常に膨大な量を示してきた。
受け取る側が変わらないと受け取れない。
やっぱディランってすげえなと思う。