『エイリアン』という映画に関する覚書

かつて僕が教えていた学校では
シリーズものの映画のをもとに翻案を行って、
一ヶ月かけて物語を書くというカリキュラムがあった。
妻とはそこで知り合って、時期は違うけど妻も教えていた。
今期また教えることになって、日々忙しく活動している。


映画は5本の中から1本を選ぶ。
僕が教えていた時から変わらないのは
スター・ウォーズ』のエピソード4、『男はつらいよ 寅次郎忘れな草』『エイリアン』の3本。
『007 ロシアより愛をこめて』は『ミッション・インポッシブル』へ、
ドラえもん のび太の創生日記』は『クレヨンしんちゃん ちょー嵐を呼ぶ金矛の勇者』に入れ替わった。
昨晩その2本を見たけど、どちらも面白かった。物語的にも、映画的にも、よくできている。


『エイリアン』は怖い、グロテスク、SFといった理由で
最初から選択対象外という人が、特に女性でけっこう存在する。
妻もそうだった。
教える側に立っても、生徒の方で選んだ人がいなかったのをいいことにこれまで見てこなかった。
それが今回の再登板で選択した人が出てきて…
今晩初めて見ることになった。
僕が適宜解説を入れながら。
僕は逆に何度も見ている。『ブレードランナー』と並んで SF映画の金字塔。
(奇しくも? どちらもリドリー・スコット監督)


いくつかのポイントについて残しておく。
もちろん、どのように解釈するのかはその人次第であって、正解はない。


・本当の敵は誰なのか?
 普通、主人公リプリーや宇宙船ノストロモ号の乗組員たちに襲い掛かって
 一人一人殺していくのだから、エイリアンのことを敵だと捉える。
 しかし、本当にそうなのか。
 エイリアンは目覚めさせられ、その本能に基づいて行動しているだけであって
 実はイノセントな存在ではないか。むしろ、犠牲者ではないか。
 本当の敵は体制側、「会社」の方ではないか。
 コンピューターのマザーとアンドロイドのアッシュを通じてその意思を表す。
 エイリアンを持ち帰ることを求め、乗組員たちを見殺しにすることを選ぶ。
 一方で、エイリアンの方は何かを選んだわけではないことに注意。
 選ばれた方だ。


・猫とは?
 リプリー以外、人間は皆死ぬ。
 蚊帳の外だった猫のジョーンズはリプリーに拾われ、生き残る。
 猫がいなくても物語は成立する。しかしこの猫が物語を味わい深くする。
 この猫の役割とは? どんな象徴を担うのか?
 ずっとわからずにいた。
 ここ数日考えて、こういうことなんじゃないかと。
 エイリアンがイノセントな存在であるとしたら、
 同じくイノセントな生き物として対比的に捉えるためにそこにいるんじゃないかと。
 光と影のような。
 それはリプリーはエイリアンと戦って何を得たか? ということにも通じる。
 猫のジョーンズは結果論かもしれない。
 しかし、何かを救うことはできたのだということ。
 その戦いは無駄ではなかったのだということ。


・ノストロモ号とは?
 ジョゼフ・コンラッドの小説から名前をつけられたとされる「ノストロモ」
 物語の舞台にして、密室、というよりも迷宮。
 その構造を知っているはずなのに抜け出せない。
 それまでの SF映画に出てくる宇宙船とは違って、
 どこもかしこも暗く、薄暗く、水で濡れているところもある。
 乗組員たちもピカピカときれいな制服を着るわけではなく、
 ネルシャツだったりブルーカラーを思わせる普段着。
 その所有者は誰か? がポイント。
 国家ではなく会社なんですよね。
 単なる移送手段に過ぎず、
 地球からいかに遠く離れた宇宙空間を開拓するか、人類の知性の枠組みを広げるか、
 といったミッションはない。
 大航海時代はとうの昔に過ぎ去って
 あとは毎日繰り返される労働による疲弊だけが宇宙空間には残されたのだということ。
 全てがコストの計算になる。予想外の利益というものは発生しない。
 そこに「エイリアン」という未知の利益を生み出すかもしれないものが現れる。