ロックの極北5枚

ロックの極北について考える。この辺りじゃないか、という5枚を挙げてみる。


Nurse With Wound 『Spiral Insana』が真っ先に上がるんだけど、以前書いたのでここでは割愛。
悪夢というものを音にしたらこういう音になるんじゃないかという。
本当に怖い夢は脈絡がなくて、説明のつく意味がなくて、寄る辺ない気持ちにさせる。
他に候補として考えたのは、No Neck Blues Band や Naked City (John Zorn) に Jandek など。


1. Public image LTD. 『Flowers of Romance』(1981)
ロックに詳しい方ならば、誰もがこのアルバムを挙げると思う。
ガイドブックでもよく「極北」と語られる。
Sex Pistols を放り投げた John Lydon が結成。Post Punk の方向性を切り開く。
ダブに接近したベーシスト Jah Wobble が脱退、
ヴォーカル、ギター、ドラムという体制で録音されたのがこのアルバム。
ミニマリズムに徹した音は架空の民族音楽に接近し、一曲目からしてロックの鎮魂歌に聞こえる。
全般を通じて John Lydon の金切り声のつぶやきは「アーメン」と繰り返しているかのよう。


2. Henry Cow 『Western Culture』(1979)
出自としてはカンタベリー系、音としてはチェンバー(室内楽ロック系に位置づけられる孤高のグループ。
中心メンバーの Fred Frith や Chris Cutler らは解散後も世界各地の
商業主義に No を突き付けるラディカルで前衛的なミュージシャンをオルグ。Rock in Oppositon を組織する。
ある意味、ロックの歴史で10本の指に入る最重要なグループ。 
活動前期の靴下ジャケット3部作、特に Slapp Happy と合体後、ヴォーカルの Dagmar Krause を引き抜いて
歌ものに接近した時期が高く評価されていますが、個人的にはあまりピンと来てなくて。
このアルバムは音楽的な方向性の違いにより解散が決まってから録音している。
誰も知らない言葉で新たな哲学・思想を黒板に書き出し、それが膨大な量のテクストとなるような。
どこにも向かわない。誰もその意味は分からない。その乾いた緊張感が心地よい。
他の次元へとつながるドアのような音楽。3次元の我々には評価不能


3. Einsturzende Neubauten 『Kollaps』(1981)
ベルリンのインダストリアル・ノイズバンド、今ならロックを演奏するアート集団か。
活動初期は空いている集合住宅を不法占拠。
金がないから楽器を売って代わりに工事現場から工具を拝借。
その場にあった金属を叩くことで生まれたメタル・パーカッションは偶然の産物だった。
そこに若者ならではの闇雲な表現欲求が重なる。
メロディはなく、音の塊があるだけ。歌というよりも叫び。声を獲得した未開人の咆哮のような。
何も知らない、何も持たないがゆえのプリミティブな振る舞いが
天才的な臭覚により全く新しい価値観を生み出す。その生々しさが真空パックされている。
その後バンドは圧倒的なスピードで自らをアートとして再組織化。
最も前衛的な音楽集団として80年代を疾走。
首謀者 Brixa Bargeld を中心にメンバーを替えながら今も活動中。


4. Heldon 『Heldon IV (Agneta Nilsson)』(1976)
恥ずかしながら最近知りました。このところ紙ジャケのアルバムを集めて聞いています。
このグループの面白さは楽曲・演奏もさることながら、
King Crimson でいうところの Robert Fripp に当たる役割のギタリスト、Richard Pinhas による
コンセプト、ヴィジョンが秀逸なところだと思う。
Gilles Deleuze(つまり、ドゥルーズ) のゼミナールで学び、ソルボンヌで哲学を教えていたという知性派。
人間と機械とが融合しつつもディスコミュニケーションにあって、
その間のコミュニケーション/インターフェースはいかにあるか、という。
それは人類の知力を超えたものであって、待ち受けているのは機械だけが生き残ったディストピア
そんな SF 的な雰囲気が好事家にはたまらない。実際に Hedon とはアメリカのSF作家 Norman Spinrad の作品から。
変容しつつも執拗に繰り返されるシンセ、シーケンサーのフレーズ(機械)と
ギター、パーカッション(人類)のせめぎ合い。高まる暴力的な緊張感。
このアルバムは元 Magma の Jannick Top とコラボレーションなのだとか。
この後、『Un Rêve Sans Conséquence Spéciale』『Interface』と未知なる生物への進化の過程を推し進めていくが、
1970年代の最終作『Stand By』では自らのエピゴーネンとなり果て、活動を停止。
なお、サブタイトルの「Agneta Nilsson」とは奥さんの名前なのだとか。
しかしこの音、音楽には愛のひとかけらもない。


5. Caroliner Rainbow 『The Cooking Stove Beast』(1992)
サンフランシスコを拠点として活動してるんだけど、
作品ごとにコロコロ名前を変えているので実態がつかめず。
もちろんメジャーから出ているわけではなくて、インディーレーベルから。
90年代は輸入盤屋で見つけたら即買い、そんな存在。
限定枚数のカセットとかレコードとかたくさん出てて誰も全貌は押さえてないんじゃないかな。
(と思いつつ、意外と少なかったりして)
限定なのはただ単に手作成だから少ないということだと思う。
今、amazon で探してみてもやはり出てこない。
でも知る人ぞ知るではなく、ここ日本でも知ってる人は噂でそれとなく聞いていた。
僕もこの一作だけだけど入手した。
通常のCDのパッケージではなかったので iTunes に取り込んだ後、
引っ越しの間でどこかに行ってしまった。しまった…
音はロックのような瞬間もあり、ポップな瞬間もあり、ノイズな瞬間もあり。
古今東西の全ての音楽が等価にシャッフルされてアトランダムに並べられているような。
そこに意味はあるのかもしれないし、ないのかもしれない。
手がかりはたくさんなのに、謎のままよくわからず。