餃子をつくる

先日、どちらともなく餃子が食べたいという話になる。
妻が昼、材料を買いに行く。
会社から帰ってきて、妻の仕事が終わらず、待っている間に一人で作る。
生姜をすりおろす。
ニンニク、キャベツ、ニラをみじん切りにする。
無心になって包丁を縦に横に行き来させる。


実は初めて自分で作る。
挽肉を入れる。
こんな感じだろうかと調味料を入れる。
中華だしの粉をみりん、日本酒、酒、ごま油を大さじ、小さじで適量。
隠し味ではないが、胡椒をガリガリと。あと、塩。
直接手で混ぜ合わせる。
一息ついてネットでレシピを見てみたらだいたい合ってた。


リビングのテーブルに一式移して、餃子の皮に包む。
キッチンで野菜を切っていた頃から興味津々だったけど、
みみたがタタンとテーブルに上がってくる。
調理中のため素手で掴むわけにはいかず、腕で挟み込んで下ろす。
それを何度も繰り返す。
油断するとパッと口にくわえる。
しかし、ボウルの中の餃子のタネではなく餃子の皮。
慌てて口から引きはがし、テーブルの端に置いといたらまた餃子の皮を食べようとした。
猫が好きになる何かがあるんだろうか。


二皿出来上がる。
皮は50枚。ボウルにまだ残っているのに、皮が無くなった。
近くのセブンイレブンに買いに行くが、売ってない。
餃子の皮って微妙なラインなのかもしれない。


手ぶらで帰ってくる。
母がよくしていたように、フライパンで残りを焼いてみることにした。
卵があったらつなぎになったんだろうけど、冷蔵庫になし。使いきっていた。
思ってたほどボロボロにならず、
ひっくり返してハンバーグのようになったのを醤油、ラー油をかけて食べる。
缶ビールのつまみになる。


宇都宮や静岡の人たちは自分たちで包むんだろうか。
それとも店に売っているのを買ってきて家で焼くんだろうか。
そんなことをなんとなく考える。


餃子を包むとき、無心になる。
食べるときも無心になる。
そういえばなんかのテレビ番組を見ていた時に
妻がロシアの水餃子、ペリメニに興味をもつ。
モスクワ留学した20年近く前、毎日のように食べたな。
栃ノ心にあやかって吉祥寺のグルジア料理の店に行ってみるかという話になる。