ゴダールの「映画史」

来期の講座のレクチャーで取り上げたいとのことで、
ゴダールの『映画史』を見た。
以前DVDのボックスセットで発売されていたのを購入、
買っただけで満足して数年間パッケージすら開けていなかったのを、ようやくという。
全体で8章に分かれ、DVDで5枚組、トータル5時間ぐらいになるか。


19世紀末に映画というものが生まれてから100年余り。
映画を語るということは映画史を語るということになり、
それは同時に歴史そのものを語るということ、
美を、芸術を、戦争を、理性を失った人類の残虐な行為の数々を語るということ。


映画だけが、映画の構造と力学だけが
語り得るものがあるがゆえに今、ここで映画史を語るのだということ。
(それをゴダールは「宇宙のコントロール」と呼んでいたが)


「過去」の映画や写真の膨大な引用を重ね合わせ、継ぎ合わせ、
タイプライターを叩く音をそこにかぶせて、
ときにはフィルムを途中で切る行為を意図的に挟み込む。
ゴダール自身もまた登場して語る。ナレーターとして、インタビュイーとして。


最初の章の方は一般的な映画史として羅列に近いものが、
後の章ではその変奏曲としてどんどんゴダールの感性・無意識に沿ったものとなっていく。
言い方を変えると、冒頭の方の映画史は言語化しやすいが、最後の方の映画史は言語化しにくい。
そこに何が映っていて、場合によってはどの映画からの引用なのかは明確なんだけど、
それでも何か曰く言い難いものになってしまっている。
ゴダール「映画史」から「ゴダールの映画史」へ。
そこにあるのは映画への愛情から、もっと複雑で矛盾したものとなっていく。
それはジョン・カサヴェテスを初めとして、
各章の捧げられている対象への想いということになるのだろう。


5時間かけてゴダールは映画について語った。
しかし語り尽くしたとは言えず、かといって端緒についたというものでもない。
言うなれば捧げられた対象へのゴダールからの私信のようなもの。


話は変わるが、DVDには詳細な解説が加わっている。
その編集委員には蓮實重彦浅田彰山田宏一錚々たる名前が並ぶ。
その中に高校の同級生の名前があった。
大学で教えていると聞いてはいたが、映画評論家でもあったとは…
僕が過ごした大学の映画サークルの後輩が大学院でやはり映画の研究をしていて、
つながりがあると聞いてはいたが。
素直に、ちょっと、びっくりした。