シナリオ・プランニング

最近研修で学んだ手法のひとつに「シナリオ・プランニング」というものがある。
未来というものは不確定であり、ひとつに予測できないという前提で、
そのテーマについて考えられる未来の可能性のうち、
インパクトが高く不確定度が高いものをふたつ軸として選んで4象限をつくって
4つのシナリオを考えるというもの。


思いっきり単純化した例として、
都心に家を買うべきか、賃貸か、それとも郊外か考えるというときに
・「南海トラフ地震」がかなりの確率で起きる、起きない
・「東京オリンピック後の景気」がかなり後退する、思ったより下がらない
この4つの組み合わせで、
地震がかなりの確率で起きて景気はかなり後退するとした場合、
どういうアクションを取るべきか。
郊外に移って賃貸がいいんじゃないか。
地震は起きないし景気も後退しないとした場合、どうするか。
都心に家を買ってもいいんじゃないか。


未来は複数の選択肢、可能性の確率でしかない、というところが面白い。
ふと、待てよ、と思う。
過去もそうなのかもしれない。
過去が書き換えられるという意味ではなくて。


出来事は確かに起こった。それは確かだ。
それをどう意味づけて解釈するかというのは
複数の選択肢があって、どれが採用されるかというのは確率的なものではないか。
というか、その時々の政治・経済・社会的条件で決まるものではないか。
評価が後世でガラッと変わるということは往々にしてよくある。
そこでは何が変わっているのか?


そのときの政治や社会によっては
過去はいくらでも隠されたり上書きされてしまう。
実はかなり不安定なものだ。
遠い過去ならばなおさらだ。
そもそも調査が進んでいないというものもある。
鎌倉幕府の成立は僕らだといい国(1192)つくろうだったけど、
今はいい箱(1185)つくろうになってしまった。
聖徳太子も実在の人物ではなくなったようだ。
いや、そういった「近い」歴史ではなく、
なぜ氷河期に入ったのか、なぜ人間だけが進化したのか、
なぜビッグバンは生じたのか。
それぐらい壮大な過去は未来を論じるのと変わらない。


絶対的な真実というものはなくて、
全ては可能性と解釈でしかないというのと同じこと。