8年前のこと

昨日、東日本大震災から8年。
NHKもこのところずっと、その特番をやっていた。
もうそんなになるのか。
いくつか鮮明な記憶が残るものと、忘れてしまったことと。
 
二回揺れた。横に揺れたと思う。
どちらもかなりの間続いたが、二回目の方が長かった。
揺れが収まって外に出ると多くのビルから人が出てきたところだった。
出てきたところで何をするでもない。立ち話をしている。
建築中の高層ビルがあって、そのてっぺんにクレーン車が。
長い鉄骨を吊り下げたまま揺れていて、落ちるんじゃないかと皆指さしていた。
 
携帯がつながらない。ネットにはつながった。
電話ボックスはさほど並んでなかった。母にかけたような気がする。はっきりとしない。
救急車の音が聞こえた。あとで知ったところでは九段会館へ向かっていた。
天井が崩れて都内で唯一亡くなられた方がいた。
 
その日はPJメンバーが上司と面談することになっていて、ちょうど来たばかりだった。
その場でこの日は解散、帰宅してよいとなった。
JRも私鉄も地下鉄も全て止まっている。
動き出すまでオフィスで待つという人と歩いて帰る人に分かれた。
神保町から荻窪まで、3時間半もあれば着くかと僕は歩いて帰ることにした。
 
皇居のお堀に沿って半蔵門に出て、まっすぐ西へ新宿に向かって歩いていく。
大勢の人たちが西に向かっていた。
信号で停止すると twitter を見た。
フォローしていた何人かの著名なミュージシャンが頼まれるがままリツイートしていた。
誰それを探してください、あれこれで困っていますと。
後でそのうちのいくつかはデマだと知った。デマを拡散するなと怒り出す人も多かった。
ネットではうかつに発言できないという時期が三か月か半年ぐらい続いただろうか。
テレビも自粛。公共広告機構金子みすゞばかり。
 
新宿駅の地下街に入ってみると階段やシャッターの下りた道端で疲れ切って、
寄る辺なく座っている人たちの姿を多く見かけた。
バスは動いていたけど、乗車待ちの人たちが長い列をつくっていた。
地上のバス停が地下にまで伸びていただろうか。
新宿から荻窪へ。青梅街道沿いに歩いていく。
焼き鳥屋であるとか、いくつかの店は普通に営業していた。
 
2時間半ぐらい歩いて荻窪に着く。
図書館に用事があって、鞄の中に返す本を抱えていた。
図書館も普通に開いていた。本が落ちているということもなく静かで落ち着いていた。
しかし翌日から開いている時間が短くなった。
家に帰るとCDラックを積み重ねていたのが崩れてガラスが割れていたり、大変なことになっていた。
それを片付けて過ごした。
 
次の日が土日でよかったと思う。サラリーマンたちが出社だったら交通機関が混乱しただろう。
駅前の西友はまだ普通にものがあった。木曜とか金曜の朝に仕入れたのだろうけど。
買い占めでものがなくなりだしたのは、福島第一原発の事故があってから。
ミネラルウォーターがまず最初に冷蔵ケースや自販機から消えた。
インスタントラーメンとか保存がきくものもそうかな。
物流が遮断されて、というのもあったけど。
食事に困る、ということはなかった。普通に開いている店も多かった。
僕の住んでいる地域は計画停電の対象から外れていて、そういう不便もなかった。
 
しばらくの間、昼も夜も余震が続いた。
何か月かしていつのまにかそれが収まったころ、世の中の自粛モードも薄れていったか。
夏前にはいろんなことが元に戻っていたような。
そして1年がたち、2年がたち…
熊本を初めとしてあちこちで地震があった。
次は東京だと言われ続けて、今のところ来ることはない。
しかしいつかは、と思う。
僕は、僕らは、8年の間に何を学んだのか、何を学ばなかったのか。
フクシマとツナミと。
それは遠くなってしまったのだろうか。