工事現場の犬と少女

予定のない日曜の昼。
『Lazy Sunday』を聞きながらパスタを茹でて、
頂き物の辛子高菜でペペロンチーノをつくって缶ビール。
妻からこれ見て、とスマホを渡されると動画が。
 
今治ゆか @imabari_yuka という方のツイート。
「渋谷の工事中のシャッターの絵
 普通に道歩いてて泣いてしまった」
 
建設会社も粋なことをするなあ、と思った。
ネット以後の社会のあるべき姿ってこういうことだよな、
世の中変わったな、と。
 
これまで工事現場というのは柵で囲って見えないようにしてしまうものだった。
柵はあくまで僕らの日常生活から切り離すための壁だった。
この中で行われていることは気にしないでください、というような。
真っ白か灰色で、施工業者もろもろの情報表示や事故を起こさないためのモットーとか。
 
それを、この一連のストーリーを語る絵は僕らの世界に対して橋をかけているような。
工事現場の中と僕らの日常との間で、別の世界、別のストーリーを提示することで
両方の接点となって、新しい世界、新しい価値観を提示するような。
 
インターネットの登場が僕らの世界の在り様を変えたことの1つとして
空間の考え方というものがある。
どんな空間もキャンバスとして、
バーチャルな別な空間を重ね合わせることができるようになった。
別の意味合いを持たせることができるようになった。
それは最初ブラウザの中だけだったのが、今はリアルな世界でも可能になった。
それが完全に定着した、ということを僕はこの工事現場の柵で語られるストーリーで認識した。
 
そして皆が求めるのはささやかな感動であり、その共有体験なのだということ。
インターネットによるデジタルな世界の押し進めはいったん行くところまで行って、
今はその揺り戻しなのか、アナログな方向に向かっている。
人間性を排除するのではなく、どんどん人間性を求める方向に戻っている。
この柵はその象徴なのだと思う。
少女と犬の話、とてもよかった。