滅亡の予言というもの

先日テレビをつけたらたまたまやってた
NHK BS の「ダークサイドミステリー」を見てしまった。
ファティマの予言って実はこんな裏があって…、というみもふたもない話だった。
(この番組は基本的に、超常現象は科学的・社会学的に説明がつくというスタンスなので好きではない)
 
小さい頃、月刊ムーを読んでいた僕は数々の予言者による予言を信じていた。
80年代だから、古典的なノストラダムスエドガー・ケイシージーン・ディクソンといったところだ。
月刊ムーの出している新書のシリーズにて、そういった予言を時系列に沿って並べているものがあった。
どの予言者も最後には地球の滅亡を語る。
そしてなぜか、その多くが第三次世界大戦による核戦争によって滅びることになっている。
だからその本も何年にその週末戦争が起きるのか、いろんな予言者が語るいろんなバリエーションを載せていた。
小学生にとってはなんともショッキングな本である。
これだけ終末論が語られていたらどれかひとつは当たるんじゃないか。そう思うのが人情というもの。
僕は余りの怖さに、物置の奥に隠して読めないようにした。
 
それらムーの新書は全部古本屋に売ってしまった。一冊10円とかそれぐらいで。
今思うと、その予言の本は取っておけばよかった。
オルタナティヴな世界史として、ある意味貴重な記録ではないか。
(しかし、Amazon にも出回っていなかった。『悪魔の黙示666』って言うんだけど)
この本に寄れば、地球は既に核戦争で何回も滅んでいる。
 
早い話、1950年代や1960年代、冷戦の時代、核戦争の脅威の時代になされた予言は
それは何十年か後に起こるだろう、すぐ先の何年か後ではないだろう、ただそれだけでしかない。
(「ダークサイドミステリー」におけるファティマの予言も結局は東西冷戦の産物なのだと)
 
ノストラダムスによれば1999年に世界は滅びることになっていた。
ああ、僕は24歳に死ぬんだなとぼんやり思っていた。
他の予言者は他の年にそうなることを語っていた。
もしかしたらもう少し長く生きられるかもしれない、小学生の僕はそう思っていた。
10代になり、20代になり、大人になった僕は当然のようにこういった予言を信じることはなくなった。
僕が信じなくなったから、予言は当たらなかった。
パラレルワールドが無限に分岐し続けるとして、予言が当たらない方の分岐に入っていった。
…のかもしれない、と思うことすらなくなった。
 
この世界が滅びるならば核戦争じゃないよな、と思う。
別の理由で荒廃が蔓延して、やけになって最後使いまくるというのは欧米圏以外であるかもしれない。
エネルギーであれ食糧であれきれいな水であれ、資源がなくなってゆるやかに文明が衰退して、
身の周り半径 5m のリアリティだけになって国家が機能しなくなって、そういうものだろう。
日本という国は2019年に起きると「予言」されている南海トラフ地震がきっかけになってほろびるのかもしれない。